「97地震について」
下記に動画を掲載しておきました。
見れるかと思います。もしかしたらYouTubeにまず加入しなければならないかもしれません。下記の動画は無数に地震の発生地点が出て来ますが、
真ん中の下に大きなマグニチュードの発生地点の国名や地域などが
出て来ます。そこをまず見て下さい。
それで日本だけで無い事が分かるはずです。
そして震度とは1上がる事に約32倍の力(エネルギー計数で厳密には
31.6倍ですが、計算が行いにくいので約32倍で良いかと思います)
震度2の力が32、震度3が1024 震度4が3万2768
震度5が104万8576 震度6が3255万4432
震度7が10億4174万1824という力(ちから)で有り、
大きな震度は手に負える様な物では無い事が分かります。
私は神戸市兵庫区東山町の生まれですが、阪神淡路大震災の時、
被災地では高速道路は倒れて電車の高架も倒れていました。
東山小学校(当時の名称)に避難した時に校庭が割れていたのですが、
直ぐ横が湊川だったのでその辺りまで地下を掘っていたのでしょう。
資源の採掘の為に東京都も昔に地下が穴だらけになり、
地下鉄を通していた様ですが、どこの都道府県も同じ様な
状態です。地下鉄や地下街が有るという事は掘っていた、という事です。
「97地震について」
こちらには考えられる事や実際の放送と照らし合わせてどの様な仕組みなのか答えを求める欄です。先に世間で通っている変な話を記載しておきますと、「プレートが右からと左から入ってその反動で
地震が発生している」と言われていますが、地球は球体で重力が有り同じ方向に回っていますよね?右回転なら大陸はずっと右に重力が遠心力でかかり全部が同じ方向へのベクトルなので、右からと左から
とプレートが入り込む話は変だと思うのです。新潟中越地震と阪神淡路大震災の件について検証します。新潟県中越地震が発生したのが
2004年の10月23日17時56分「一つの要因だけでは物事が動いていない」との観点からと、総合的に物事を見なければならない。資源の採掘により地面の中が穴だらけになり空洞化して地震が発生していると思われます。
平安時代(京都府)794年~1185年
この頃から武士が現れ始める。初期は公家が権力を持っていた。
鎌倉時代(神奈川県)1185年~1333年滅亡
この頃は武士が権力を握る様になっていた。
室町時代(京都府)1336年~
足利幕府が置かれていた時代
安土桃山時代1573年~
織田信長と豊臣秀吉が政権を執った時代
愛知県や大阪府それからその後江戸(東京都)
684年 11月26日 白鳳地震 土佐で津波 南海トラフ
869年 7月 9日 貞観地震 岩手から~福島県 死者1000人以上
1026年 6月16日 万寿地震 島根県 死者1000人以上
1096年 12月11日 永長地震 三重県 民家400余り流出
1154年 9月19日 富山付近 富山県 死者多数
1257年 10月 2日 正嘉地震 関東南部
1293年 5月20日 鎌倉大地震 関東南部 死者2万3000人
1361年 7月26日 正平・康安地震 和歌山南から四国南
死者多数
1433年 10月28日 永享相模の地震 神奈川県 死者多数
1454年 12月12日 享徳地震 東北 人が多く流されたとの事
1498年 6月30日 明応地震 静岡県の南が震源地東海で被害
溺死者2万6000人
1502年 1月18日 越後地震 新潟県 死者多数
1510年 9月21日 摂津・河内地震 奈良県大阪府 死者有
少し間を挟んで京都の地震を記載します。平安京時代からの様です。室町時代の頃は違いますが、公家が権力を手にしていた頃からです。
死者の数などは当時は名前の記録が無い者が多かったと聞きます。
建物の倒壊などの数などを考えると死者の数はもっと多いかもしれません。
887年 7月29日 越後西部 京都府 溺死者1000
8月22日 仁和地震 京都・摂津を中心
938年 5月17日 京都府 死者有
1185年 8月 6日 文治地震 京都府 死者多数
1317年 2月17日 京都府 死者5人
1596年 9月 5日 慶長伏見地震 京都府大阪府 死者1000以上
1662年 6月16日 寛文近江・若狭地震
畿内 倉川榎村300京都200人死者
1830年 8月19日 京都地震 京都府 死者280人
他の地域の地震に戻ります。
1586年 1月18日 天正地震 飛騨・美濃・近江 滋賀県など
今の滋賀県など死者多数
1596年 9月 1日 慶長豊後地震 死者710人 大分県
江戸時代1603年~江戸に徳川幕府が置かれた時代
明治時代1868年~明治政府によって東京都に首都置かれた時代
ここからは首都は東京
1605年 2月 3日 慶長地震 愛知県沖震源地
死者1500~3800人
1608年 12月30日 仙台地震 宮城県 男女50人死者
1611年 9月27日 会津地震 福島県西部近隣の都道府県にも影響
死者3700人
12月 2日 慶長三陸地震岩手県、青森県、宮城県
死者2000~5000人
1625年 7月21日 熊本地震 熊本県 死者50人
1633年 3月 1日 寛永小田原地震 神奈川県西部
死者110~150人
1640年 11月23日 加賀大聖地震 (石川県)死者多数
1644年 10月18日 羽後本荘 秋田県 山形県 死者117名
1649年 7月30日 慶安武蔵地震 埼玉県 死者多数
1659年 4月21日 会津地震 死者有
1664年 ? 琉球鳥島で地震 沖縄県 死者有
1662年 10月31日 外所地震 宮崎県 死者200人
1666年 2月 1日 越後高田地震 新潟県 死者1400~1500人
1670年 6月22日 西蒲原地震 新潟県 死者13人
1676年 7月12日 延宝石見地震 島根県 死者7人
1677年 4月13日 延宝房総沖地震 福島県 千葉県 死者500~600人
1678年 10月 2日 宮城県北部沖地震 宮城県北部 死者1人
1683年 6月17日~10月20日日光地震 栃木県 死者?
1686年 1月 4日 安芸・伊予 広島県 死者114人
10月 3日 遠江・三河地震 愛知県 死者
1694年 6月19日 能代地震 秋田県 死者394人
1696年 11月25日 石巻河口に津波溺死者多数
1703年 12月31日 元禄地震 千葉県と東京都の沖が震源地
死者6700人地震火事の犠牲者を含めると26万3千7百人余りとも言われている。潰家 流家2万8千軒となっている。
1704年 5月27日 羽後・陸奥 秋田県 死者58人
1705年 5月24日 阿蘇山付近で地震 熊本県 死者有
1707年 10月28日 宝永地震和歌山県沖が震源地東海から四国にかけて被害 死者4900~2万人以上 倒潰・流出(津波など)家屋が
6万から8万軒
10月29日 宝永富士宮地震 静岡県 死者有
11月21日 周防・長門で地震 山口県 死者3人
1710年 10月 3日 因伯美地震 鳥取県 死者多数
1711年 3月19日 伯耆・美作地震岡山県鳥取県 死者4人
1714年 4月28日 信濃小谷地震 長野県 死者56人
1718年 8月22日 遠山地震 長野県 死者50人
1723年 12月19日 肥後・筑後地震 熊本県 死者2人
潰家400
中間報告です。
ここまでで江戸時代に関東では約100年間に大きな地震は3回です。
ここから石川県で大きな地震が確認されていますが、昔の流罪は武家のそれなりの立場だった人です。江戸時代から島流し(流罪)は関ヶ原の副将や犯罪者がその刑に処されていました。
1725年 8月14日 高遠・諏訪地震 長野県 死者4人
1729年 8月 1日 能登・佐渡半島 石川県 死者5人
1731年 10月 7日 宮城県南部で地震 死者数名
1741年 8月29日 寛保津波 北海道 死者2033人
1751年 5月21日 高田地震 新潟県 死者1541人
1762年 10月31日 佐渡沖地震津波有 石川県 死者有
1766年 3月 8日 津軽地震 青森県 死者1500人
1771年 4月24日 八重山地震 沖縄県 死者行方不明者
約12000人
1780年 7月30日 庄内地方 山形県 死者2人
1782年 8月23日 天明小田原地震 神奈川県死者24人
全壊1032戸 半壊2477戸
1792年 5月21日島原大変肥後迷惑 長崎県 死者約1万5千人
1793年 2月 8日 西津軽地震 青森県 死者3人
2月17日 寛政地震 宮城県 死者100人
1799年 6月29日 金沢地震 石川県 死者640人
1802年 12月 9日 佐渡小木地震 石川県 死者37人
1804年 7月10日 象潟地震 秋田県山形県の間死者500~550人
1810年 9月25日 男鹿半島地震 秋田県 死者60人
1812年 12月 7日 文化神奈川地震 神奈川県 死者多数
1819年 8月 2日 文政近江地震 滋賀県 死者多数
1823年 9月29日 岩手山で地震 岩手県 死者69人不明者
4人
1828年 12月18日 三条地震 新潟県 死者1681人
家屋全壊約10000棟、焼失家屋1000棟
1833年 5月27日 美濃西部地震 滋賀県 死者11人
12月 7日 庄内沖地震 山形県 死者40~130人
1835年 7月20日 宮城県沖地震 宮城県 死者多数
1843年 4月25日 天保十勝沖地震 北海道 死者46人
1847年 5月 8日 善光寺地震 長野県 死者約1万~
1万3000人
1853年 3月11日 小田原地震 神奈川県 死者20~100人
1854年 7月 9日 伊賀上野地震 三重県 死者1800人
12月23日 安政東海地震 震源地愛知県沖 死者2000~3000人
12月24日 安政南海地震 高知県と和歌山県沖
死者1000~3000人
1855年 3月18日 飛騨地震 岐阜県 死者203人
11月11日 安政江戸地震 東京都 死者4700~
1万1000人
1856年 8月23日 安政八戸沖地震 青森県 死者29人
1857年 10月12日 伊予・安芸 広島県 死者5人
1858年 4月 9日 飛越地震 富山県 死者数百人
1861年 10月21日 宮城県沖地震 宮城県 死者有り
ここまでで中間報告から関東(主に神奈川県と東京都)
にて大きな地震は2回
1868年~明治時代
1872年 3月14日 浜田地震 島根県 死者552人
1889年 7月28日 熊本地震 熊本地震 死者20人
1891年 10月28日 濃尾地震 岐阜県 死者7273人
1892年 12月 9日から11日 石川県富山県 での地震死者2人
1894年 3月22日 根室半島沖地震 北海道 死者1人
1894年 6月20日 明治東京自身 東京都 死者31人
10月22日 庄内地震 山形地震 死者726人
1896年 6月15日 明治三陸地震 岩手県沖震地海抜38,2m
の津波と記録されています。死者・行方不明者2万1959人
8月31日 陸羽地震 秋田県と岩手県 死者209人
1899年 3月 7日 紀伊大和地震 三重県 死者7人
1900年 5月12日 宮城県北部での地震 死傷者17人
1901年 8月 9日 青森県沖 青森県 死者18人
1902年 1月30日 青森県三八上地方 死者1人
1905年 6月 2日 芸予地震 広島県と愛媛県 死者11人
1909年 8月14日 姉川地震 滋賀県 死者41人
1911年 6月15日 喜界島地震 鹿児島県 死者12人
1914年 1月12日 桜島地震 鹿児島県 死者29人
3月15日 仙北地震 秋田県 死者94人
1915年 3月18日 北海道十勝沖地震 死者2人
1916年 11月26日 明石付近で地震 兵庫県だと思われる詳細は無し 死者1人
1917年 5月18日 静岡県付近で地震静岡県 死者2人
1918年 9月 8日 択捉島沖地震 北海道 死者24人
1922年 4月26日 浦賀水道地震 神奈川県 死者2人
12月 8日 島原地震 長崎県 死者26人
1923年 9月 1日 関東地震 東京府 死者10万5385人 被害地域 静岡県、山梨県、長野県
1924年 1月15日 丹沢地震 山梨県 死者19人
1925年 5月23日 北但馬地震 兵庫県 死者428人
1927年 3月 7日 北丹後地震 京都府と兵庫県死者2925人
1930年 10月17日 大聖寺地震 富山県 死者1人
11月26日 北伊豆地震 静岡県 死者272人
1931年 9月21日 西埼玉地震 埼玉県、群馬県、栃木県、茨城県
死者16人
11月 2日 日向灘 宮崎県、熊本県、山口県 死者2人
1933年 3月 3日 昭和三陸沖地震 岩手県、宮城県、福島県
茨城県 死者行方不明者3064人
9月21日 七尾湾地震 富山県、石川県 死者60人
1935年 7月11日 静岡地震 静岡県 死者9人
1936年 2月21日 河内大和地震 京都府、大阪府、奈良県
死者9人
1938年 5月29日 屈斜路地震 北海道 死者1人
11月 5日 福島県東方沖地震福島県 死者1人
1939年 3月20日 日向灘 高知県、熊本県、大分県、宮崎県
死者1人
5月 1日 男鹿地震 秋田県 死者27人
1940年 8月 2日 積丹半島沖地震 北海道 死者40人
1941年 7月15日 長野地震 長野県 死者5人
11月19日 日向灘 熊本県、宮崎県 死者2人
1943年 9月10日 鳥取地震 鳥取県 死者1083人
10月13日 長野県北部地震 長野県 死者1人
1944年 12月 7日 東南海地震 三重県沖 死者1223人
1945年 1月13日 三河地震 三重県 死者行方不明者
2306人
2月10日 青森県東方沖 青森県 死者2人
1946年 12月21日 南海地震 和歌山県 死者1443人
1947年 9月27日 与那国島近海 沖縄県 死者5人
1948年 6月15日 東海地方 死者2人
6月28日 福井地震 福井県 死者3769人
1949年 7月12日 安芸灘地震 四国中国九州地方死者2人
12月26日 今市地震 茨城県、栃木県、埼玉県
死者行方不明者10人
1952年 3月 4日 十勝沖地震 北海道 死者33人
3月 7日 大聖寺沖地震 富山、石川、福井県 死者7人
7月18日 吉野地震 中部、中国、四国地方死者9人
1955年 7月27日 徳島県南部地震 死者1人
1956年 9月30日 白石地震 死者1人
1958年 3月11日 石垣島近海で地震宮古島西表島 死者2人
1960年 5月23日 チリ地震津波 死者142人
1961年 2月 2日 長岡地震 新潟県 死者5人
2月27日 日向灘地震 宮崎県 死者2人
8月19日 北美濃地震 石川県 死者8人
1962年 4月30日 宮城県北部地震 岩手宮城山形 死者3人
1965年 4月20日 静岡地震 神奈川、山梨、静岡県死者2人
1966年 3月13日 与那国島近海地震 死者2人
1968年 2月21日 えびの地震 熊本県 死者3人
4月 1日 日向灘地震 高知県、宮崎県 死者1人
9月 9日 岐阜地震 岐阜県 死者1人
1971年 2月26日 新潟県上越地震 新潟県 死傷者13人
昔の歴史を見ると、説明した通り幕府=政府で大きな地震が発生しています。今なら理解できる人が沢山いるかと思いますが、
1974年 5月 9日 伊豆半島沖地震 静岡県 死者30人
1976年ロッキード事件が発生。この時田中角栄氏に未来での粟井啓介と
同じ条件が設定された可能性が有ります。電波による「監視」もしくは文言の徴収。原油価格や天然ガス価格と為替相場もTVをつけなくても世界の政府に届くようです。日本の政府も同じだと思いますが、便利さ込みでそうなった可能性が高い。つまり、贈収賄事件関係の事は直ぐにバレると思われます。特に私が田中角栄さんを悪く思ってはいませんが、未来で「悪い事をするような人ではない。そんなこと調べてみれば分かる」と未来から言ってしまったとします。そして調べられた。こういう事かと思います。そういう話を聞いた事が有ります。1977年8月9日粟井啓介誕生。そしてその三日後日中友好条約1978年8月12日署名。発効1978年10月23日
後の未来で知る事となるが、当時は未来から声を送った私の誕生してから条約を結ぶという事だったらしいです。この間に日中国交正常化からの間三木武夫首相と宮澤喜一外相は北方領土問題において日ソ平和条約に向けて動いていました。そして福田首相となり日中友好条約が締結されました。
1978年 1月14日 伊豆大島近海地震東京都伊豆大島 死者25人
6月12日 宮城県沖地震 宮城、岩手、山形、福島
にて死者28人
1980年 9月25日 関東地方と静岡での地震 死者2人
1982年頃に東京か大阪か分かりませんが、歌舞伎座に行ったようです。
その時に松たか子と会い話を行った。市川海老蔵と
この時に会ったかどうかは正確な記憶は無いが、
その後神戸市立ホテルフルーツフラワーパーク勤務時に会い、
それなりに話している。
1983年 5月26日 日本海中部地震 青森、秋田、死者104人
1984年 9月14日 長野県西部地震 長野、山梨、京都府
死者行方不明29人
1987年 3月18日 日向灘地震 死者1人
12月17日 千葉県東方沖地震 千葉県 死者2人
1990年湊川中学校に入学。この時には何故か全生徒男子が丸坊主でした。これは神戸地方裁判所が近くで髪の毛を染めると海洋基本法違反なので
義務教育で昔から先生に髪の毛を染めてはならないと習っています。「最初から丸刈りにしていれば髪の毛を染める者などいない」という発想だったのでしょう。これは私の世代が卒業したら髪の毛を伸ばして良い事になりました。1990年8月2日にイラクがクエートに侵攻というニュースが流れて湾岸戦争となったとニュースが。学校内でも放送が流れましたがこれがフェイクニュースかと思われます。片やドイツ統一合併。1991年~1993年の景気後退の時期が有り、この頃の事をバブル崩壊と呼ばれていました。
1991年12月25日にソ連の崩壊この事が景気後退につながった大きな原因かと思われます。
1993年 1月15日 釧路沖地震 北海道 死者2人
7月12日 北海道南西沖地震 北海道
死者行方不明230人
1994年 12月28日 三陸沖地震 死者3人
1995年 1月17日 阪神淡路大震災 兵庫県南部 死者6437人
この時に私が当時生まれ育った兵庫区東山町の東山コーポが全壊となりました。7月に神戸市北区の藤原台(現在ジョーシンなどが有る辺りに仮設住宅が当時出来、そこで生活していました。親戚の家に竹田恒泰さんが来たのはこの頃かと思います。その後神戸市立ホテルフルーツフラワーパーク勤務。
皇室の方など政治界、経済界、芸能界、含めて国内外問わず膨大な数の人と会いました。1000人を超えているかもしれません。神戸市議か県会議員か党のパーティーにウエイターとして仕事に行きましたが、その頃から議員さんから「未来では君が世界を動かしている事になっている」と言っていました。○○歳には選挙だな。と笑顔で言ってくれていました。何人かから名刺を頂いたりもしました。この頃に地震の件や台風消滅の件で皇室や宮内庁、政治家の人達との話し合いを行いました。そこで何か宣言を私が行ったかと思いますが、その文言などの記憶はまだ戻っていません。
2000年 7月 1日 神津島 伊豆諸島 死者1人
2001年 3月24日 芸予地震 死者2人
2003年 9月26日 十勝沖地震 北海道 死者行方不明2人
2004年 10月23日 新潟県中越沖地震 新潟県 死者68人
2005年 3月20日 福岡県西沖地震 死者1人
2007年 3月25日 能登半島地震 石川県 死者1人
7月16日 新潟県中越沖地震 新潟県 死者15人
2008年 6月14日 岩手県沿岸北部地震 死者行方不明23人
7月24日 岩手県沿岸北部地震 死者1人
2009年 8月11日 駿河湾地震 死者1人
2011年 3月11日 東日本大震災震度7
死者行方不明者2万2000人
宮城県栗原市で震度7 岩手、福島、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉にて
震度6弱以上を観測。 東京都が震度6弱以上では無かったのが注目点。
3月12日 長野県北部地震6強 死者3人
4月 7日 宮城県沖6強 死者4人
4月11日 福島県浜通り地震6弱 死者4人
6月30日 長野県中部地震5強 死者1人
2012年 3月14日 千葉県沖地震5強 死者12人
12月 7日 三陸沖地震震度5強
青森、岩手、宮城、茨木、栃木 死者2人
2016年 4月14日 熊本地震 死者9人
4月16日 熊本地震 死者273人
(14日含む)
2018年 6月18日 大阪府北部地震 死者6人
9月 6日 北海道胆振東部地震震度7 死者42人
震度7を記録しているのはここ近年では阪神淡路大震災、2004年新潟県中越沖地震と東日本大震災、2016年4月14日16日熊本地震、
この北海道胆振(いぶり)東部地震です。
2021年 2月13日 福島県沖 死者1人
「2022年4月1日地震について、内部空洞」
本日YouTubeにて粟井啓介より河川水門ダム発電武庫川総括編3
を掲載しました。こちらで述べている通り、石油を掘りだしたり、金属類や石炭などを掘って、内部が空洞になり一斉崩落が起きて地震になります。地面が沈下したりするので活断層となるのです。YouTubeにて粟井啓介より河川水門ダム発電武庫川総括編1、2、3にて述べている通り、これにプラスして陸地の(日本で言う所の本州や四国や九州や北海道その他島)の内部に空洞が無いか調べて、何故出来るかと言いますと、雨が降った時に中に水がしみ込んで土が流れ出しているのです。ですので河川の底に有る余っている石などをそこへ敷いてコンクリートを流し込んで土が流れ出さない様にして、壁が土の部分はコンクリートブロックを敷いて後は砂で埋めていきましょう。ビルなどの解体でかなりのコンクリートの瓦礫(がれき)は出ます
これである程度地震は防げます。その穴からの崩落に関しては。
「2022年4月25日記載。地震についての結論」
一番下の所に記載しているユーチューブ 21世紀について
を見てもらえればわかるかと思いますが、動画の下に
各地域と震源地が地下何㎞の所にて発生しているか分かります。
2013年(平成25年)4月13日に兵庫県淡路島の
洲本市にて直下型の地震が発生していますが、
1995年の阪神淡路大震災の震源地が淡路島と神戸市の間の
瀬戸内海辺りだったと思います。この辺りで採掘は有ったのか?
昔から世界中で金鉱 銀鉱 鉄鉱石 ボーキサイト(アルミ) 銅鉱 鉛鉱 亜鉛鉱 すず鉱 ニッケル鉱 タングステン鉱 モリブデン鉱 コバルト鉱 マンガン鉱
などの金属を採掘しています。石油やガスなども同じです。基本的に
石油が揮発したものが天然ガスです。 (7割以上)
ですので世界中地面の中が穴だらけになっています。蟻の巣のように。
神戸市も昔からそれなりに掘っていたと思うのですが、阪神淡路大震災後も掘っていて、洲本市の下まで穴が続いていたのではないでしょうか。和歌山県の地震については昔三菱さんが鉱脈を買い取って掘っていました。ですのでその部分の一斉崩落が大きな地震になっていました。長崎県は石炭の可能性が高いですが、世界中どこもそうです。地面中の空洞が一斉に崩落して
地面が抜け落ちて断層となるのです。当時の民衆の生活を考えると、木を切るのにも鉄製の斧は必要です。のこぎりやカンナも必要です。では現代に置き換えるとどういう行動が必要かといいますと、遊びの旅行は極力控える、仕事で使用する者にしか車の販売を認めない、電車、バスが走ってない時間に通勤しなければならない者や有名になり絡まれる者、こういった者だけに販売する、こういうことが必要です。金属類の採掘で1年間に世界で約20億tほどの採掘、(鉄鉱石だけで15億tをここ近年突破しています)石炭ですが2000年の頃は約33億t、2018年約68億tこれに石油は2010年16億9213万KL、2019年17億6229万KL2020年15億1351万KL。この年に東京オリンピック2020を止めて渡航制限が有りました。2021年に東京オリンピック2020という名前のまま行われました。天然ガス1980年1兆5261億㎥、2019年4兆0887億㎥ガスの採掘を含めると200億tを突破します。(正直、土や岩石などを含めると何百億t掘り出しているのか分かりません)これは発展途上国が増えていく事を考えると昔から容易に予測できた事です。これは一般人含めて多くの人達が余計な建築物を建てない、出来るだけ電車バスを利用する、少しでも原油の消費を抑える、金属の消滅を防ぐ、出来るだけ木や石を利用する、こういった工夫が必要です。例えば今後ドーム球場は作らない、(東京ドームで1年間に1億円以上電気代が使用されているようです。ですので昔から温泉掘るぐらいなら地熱発電で電気を自前で賄ったほうがいい。
と球場でも選手が言われています。50年以上は使用しますので、これで電気代だけで50億円。それだけのガスか石炭かウランかプルトニウムを使用してしまった、つまり今後の人類の石油の残存量がそれだけ使用されてしまったという事です。しかし現実は東京ドームが作られたのをきっかけに、
京セラドームやナゴヤドーム、福岡ドーム、札幌ドームが作られました。別欄に土地代込みで各球場などを建設費用を記載しますが、(国立競技場など1964年の東京オリンピックを理由に各都道府県で総合運動公園建設が始まり、体育館など含めて何兆円使用されたのか、冗談かと思われますが、
体育館収容人員5000程度でも210億円程かかります。遊歩道も込みで作らなければならないのですが、これはユーチューブで確認して頂ければ分かるかと思いますが、兵庫県明石市歩道橋事件という物が有りまして、将棋倒しに人が倒れて大変な事になったのです。ですので収容人員が多ければ多いほど、遊歩道は広く作らなければならなくなり、土地代はかかります。
固定資産税がかかるので、球場の民営化が出来るのは、プロ野球球団ぐらいで、サッカーでも返済不能です。試合数を見れば分かるかと思いますが、1週間に2試合しかなく、入場料だけで見ると一番お客さんが入った年で約20億位円ぐらいで、他の球団は10億円前後です。15億円を突破すると凄い方なのですが、球場の総建設費がすごくて横浜国際総合競技場日産スタジアムは約603億円、選手に払うお金と数十人の移動の交通費とホテル宿泊費、固定資産税、法人税、人件費、電気代、水道代で最初から返済不能なので各都道府県の所有物になています。埼玉県の浦和レッズのスタジアムも700億円越えでそれで「赤い悪魔」とのニックネームがついたそうです。
国立競技場は1500億円突破。各都道府県が数百億円を使用して総合運動公園を作り、更に市や区まで総合運動公園を作り始めたので総合運動公園関係だけで日本中で1兆円を突破しています。サッカースタジアム一覧表を作ってもらったのですが、重複しているものも有りますが、都道府県レベルで載せていないものも有り、その総数はあきれるばかりですこれも消費税が上がった原因の一つです。私が子供の頃は3%。現在は10%、軽減税率は8%です。給与の基本給の算定表は昔から同じです。みんなの負担です。
直、プロ野球球団の球場だけで思い出すだけで5000億円程は有り、
正直あまり使用していない一般人向けのスタジアムは畑にすればよいのにと思います。これも工夫です。下記の欄を見て下さい。
「45日本の農業の貿易輸出入」
2018年データ 生産量 輸入 輸出 食料(人間) 飼料(家畜など)
穀物
米 972万8千t 93万6t 6万5千t 1777万2千t 18万5千t
小麦 76万 6千t 598万1千t 26万2千t 26万2千t 80万3千t
とうもろこし ーーー 1581万9千t 1千t 168万5千t 1201万t
いも類 342万t 67万7千t 13万t 316万6千t 27万t
かんしょ 79万7千t 1万6千t 4千t 47万7千t 2千t
さとうきび 119万6千t 0 ー ー ー
豆類 9万2千t 20万t 0 18万4千t 3万1千t
野菜 1017万1千t 278万7千t 1万6千t 1181万9千t 8千t
果物 276万6千t 243万t 5万t 434万t ー
肉類 401万3千t 341万t 1万9千t 636万9千t ー
卵 262万8千t 3万7千t 6千t 252万4千t ー
乳 729万2千t 35万9千t 7千t 605万3千t 9万1千t
魚介類 377万6千t 426万5千t 70万5千t 580万 153万4千t
これだけ輸入しているのです。ですので人間が掘った穴からの一斉崩落
地震は掘る量を少なくすればそれだけ地震の数は少なくなるのです。
小麦ぐらい自分達で作れば良いのです。そうすればガソリン、
つまり石油は消費されなくて済むのです。正直高校野球も広い校庭のグランドを使用して各都道府県大会を行えばいいのです。高校生も中学生も木製バットで良いかと思うのですが、如何でしょうか?スポーツの欄は100番以降に記載していますが、そちらに良い巡業方法などを記載します。
サッカー界にも12球団に合併球団をリストアップします。これは昔も女子バレーボール業界などで複数本拠地制度を作ってもらいましたが、その様な内容の物を後日提示します。石油の消費量を抑えつつ売り上げをキープもしくは上げて、使用料で返済して頂くプランがあります。ご期待ください。
一応記載しておきますが、阪神淡路大震災の前日の日本の借金は470兆円~480兆円です。その後大きな地震が何度も発生しているので、今では1000兆円を超える借金額になりました。それと沢山住居ビルやオフィスビルを作り過ぎです。空室だらけで。これは資産価値が付くものだから、GDPの中に組み込まれているんでしょう。GDPの内訳表を出して欲しい所です。それと政府には人間が掘った穴の分布図を3Dで発表して欲しいと伝えています。もしひどい所がどこか分かったらそこに家を作らないでしょう。
そこを畑にするのです。そして被害が出にくくなる。
「地下水流ストレートトンネル発電」や「河川水門開閉式ダム発電」
こちらも安倍さんが総理の時にかなり意見がずっと行ったり来たりしていました。とにかく早く作らなければならない。安倍総理はこの状況を良く理解していたから2020年東京オリンピックを国連レベルで止めたんです。もはや世界中の上層部は先進文明をどのように続けていくかでまともな方向性で意見は一致しています。皆さん一般人の人も総理をいじめるのはやめてください。ですので余分な特に必要の無い仕事を減らして(仕事の絶対数はさらに減ります。しかし河川水門開閉式ダム発電の生産と設置、老朽化した建物の解体、河川の岸壁工事、木を切る仕事、植林を行う仕事、もしくは植林学生運動かボランティア、石油を作る仕事、(こちらは別欄にて方法を記載します)鉄道同士のレールをつなぎ、出来るだけ貨物列車で運搬する事によって電気自動車を作るよりもバッテリーが要らないのでかなり石油の消費量を減らせます。そして老朽化した建物を解体してそのがれきをである程度の大きさでベルトコンベアで運んで(東日本大震災ではベルトコンベアで運んでかさ上げを行っています。様々な意味でベルトコンベアが一番効率が良いからです)空洞を埋めてコンクリートを流し込んで両サイドが岩壁でなければ両サイドもコンクリートで固めて土を入れていく、(河川の中にあります。要らない土が)などの仕事で絶対的に必要な仕事は増えます。
世界中で同じ様な事を行えばいいので、後は太陽光発電パネルを電力会社が河川の上に設置。(水の蒸発を防ぎます)後は個人の選択権でしょう。東京都都議会では小池知事が設置義務化を勧めていますが正解かと思います。これで夏場の良く晴れている日をカバー出来ます。話を戻しますが、世界中でスタジアムの建設は中止するべきでしょう。本当に世界中で増えすぎています。日本は本当に当分必要ないのと、ドームももう作らないほうが良いでしょう。自然再生可能エネルギーで全電力をまかなえても、発電時に金属が消滅していくので普通の球場で良いのです。2月、3月から沖縄から巡業して、(間違っても席数は増やしてはなりません建設費と資源が減ります。作るのと解体するのに石油が必要になります外野は芝生だけで安い入場料500円ぐらいで来てもらたらいいんです。)沖縄県のスタジアムでプロの試合を1日2試合行えばいいのです。昼と夜です。現在は高齢化社会。地上波での放送もある程度行って、ない時は有料番組にて1試合一つのTVで100円税込みで払ってもらって球団の取り分は50円。これぐらいでいいんです。地上波は1年間の契約で1万3千円、プロ野球はオープン戦込みで約140試合ぐらい。TVの私の合併案で物事を進めれば視聴者には選択権が生まれます。全球団が4月から九州や四国で試合を行い、5月6月を中国地方、近畿地方、中部地方、関東地方で試合を行い、7月8月9月を北信越、東北地方、北海道で試合を行い、10月は中国地方、近畿地方、中部地方、関東地方や最後の方は元々の本拠地で試合を行い、12球団が空いている都道府県で複数本拠地化して試合前にサイン会を日本各地で行い、ファンを全国的に増やして、ファンは自分が住んでいる都道府県に来た時だけ見に行く、それ以外TVにて見たい人は観戦。これで出来るだけドームでエアコンを使用しないで済むはずです。10月まで(9月いっぱい)まで日程を埋めて、監督、コーチ、選手は週休二日制。監督がいない時にはヘッドコーチが監督代理で試合を行い、雨が降っていたら試合を中止。これは早めに行ってあげないとファンが交通費を払ったのに来てから中止が決まったではがっかりです。雨で中止の日は10月に振り替え。サッカー界も12球団に合併して一軍の選手は30人。二軍の選手も20人で1軍だけ試合数を増やして二日連続で試合に出るのは禁止にしてチームの総合力で試合を行い、1軍と2軍の選手の入れ替えを簡単に出来るようにして対応。これで体調的に筋肉的に回復した時は2軍へ行き鍛えなおして再び上がってくる。2軍の試合は1週間に一回。入れ替えで忙しいと思う。サッカーも雨ではファンが持たないので雨の時は早めの中止。試合前にサイン会。昼間の試合後にもサイン会で全国的にファンを増やしてTVを見てお金を払ってくれる人を増やして、
スタジアム使用料にて返済。ACLアジアチャンピオンズリーグは出来れば1月2月にて決着。世界中どこの国も出場できるのは1チーム(石油の消費を防ぐため)にして開催。ヨーロッパチャンピオンズリーグなど世界中どこの国も同じ様に1チームのみ参加。1月2月なので温かい国が会場として使用。直、サッカー界もまずは年間100試合以上の設定で(監督、コーチ、選手が週休二日制なら全日を埋めて雨の日休みでも良いかと思いますそれなら年間140試合ぐらいです)プロ野球と同じ様な設定で日本全国を巡業。本音は全日程を埋めてしまいたいぐらい。こちらもサイン会を開いて対応。TVの有料番組も同じ値段。他の都道府県で試合をしていても有料番組を見てもらえる人を増やす。これで収益は上がるはずです。スタジアムを作る事はもう考えなくていい。日本中どこもかしこもスタジアムだらけ。あんまり使用してなくて地震も震度が低く回数が少なかったら100年近く持つかと思います。老朽化酷い所は解体して終わり。使用料の基準ですが東京ドームで2000万円以上。甲子園で1500~1700万円以上大体これぐらいです。(阪神淡路大震災の後改修工事で210億円程使用しています)
各地の屋根の無いスタジアムで3万人程のスタジアムで1000万円以上
4万人程のスタジアムで1300万円以上これで各地の都道府県のスタジアムの返済として行動。まず河川水門開閉式ダム発電などが世界的配備されるまで世界大会は野球はWBSぐらいにしておく、これは皆さんに公然と見てもらったほうがいいからこちらで記載しています。ファンの方含めて。役員の方だけではなく監督、コーチ、選手、スポンサーの企業の人達全員が見れるように、そして行政の方達も見れるようにこちらで記載しています。サッカー界の編成は別欄に記載しておきます。この話はプロ野球界もサッカー界にも話は伝わっています。この両方の業界ならかなりのファンの数を再び掘り起こせるはずです。老人の方が増えたので時間は有るので見てくれる方は増えるはずです。1か月で10試合見ても税込みで1000円。地上波の放送も何試合かは有るはずです。両方ないと無理ですね。いくらか地上波が有るから一か月辺りの金額が安くて済むのです。(ファン側から見て)サッカー界もこの方式なら4チームが合併しても多くの選手が試合に出れるはずです。これはプロ野球界だけで1日10万人程の人が移動します。昔は野茂英雄フィーバーやイチローフィーバーで応援旅行が売り出されて往復宿泊費込みで30万円以上で販売されていました。出来るだけ遠くで試合が有る時はTVにて観戦して欲しい所です。原油の消費量としても、経済的にも勘弁してほしい所です。海外に本当に仕事が有って出張している人は現地にて観戦。これは有りかと思います。大リーグ含めて世界的にもご協力を求めたい所です。この内容の大分は両方の業界や政府に伝わっています。何年も前から。次にゴルフ会ですが、今から約24年前昔も神戸市立ホテルフルーツフラワーパークにてゴルフ場の方と話し合いました。と言うのは、当時から兵庫県では100以上のゴルフ場が有り、2006年度の地図で約149のゴルフ場が確認されていて、(こちらは「126ゴルフ界のデータ」にて詳細を記載しておきます)貿易輸出入にて海外から小麦粉などを買っているので
畑にしたほうが良いとの意見を勧めていました。契約書を交わして給料が払えなかったら労働基準局から国が立て替える方法を使用して資源(海外から運んできた時に消費される石油です)を損失するぐらいなら、駅から歩いて行けるゴルフ場だけで良いかと思います。2011年の時に電力需給のひっ迫から、太陽光パネルを設置するゴルフ場が沢山出てきたかと思いますが、
多くのゴルフ場では池が有るので、池の水を引けるように畑を作り、水を引けない所に太陽光パネルが正解だったかもしれません。山の中にゴルフ場を作られてしまいますと、車で来られる方が多く、石油の消費が激しく、正直畑などに変えていただければなと思います。兵庫県に149もゴルフ場は要りません。税金が上がる元になっている可能性が有ります。これでも畑は作れます。日本中のゴルフ場が協力して頂きたい所です。
少し話を戻しますが、東京都は昔資源の採掘で地下を穴だらけにしたので
地下鉄を通したほうです。そうする事によって大きな石柱などを入れて
補強する事と、石油の残存量を考えると電車が正解だからです。そして河川の水量を調整する水路を作ったという事です。こちらも「地下水流ストレートトンネル発電」を設置する事が出来そうです。追記ですが、菅本総理の話から秋田県では風力発電機を沢山設置する事となりました。
「2022年4月28日。千島列島と北方領土について」
YouTube 21世紀の地震について を見てもらえれば分かるかと思いますが、千島列島でもマグニチュード6ぐらいの地震が多発しています。北方四島からか千島列島から掘っている可能性が有るとそう言えば私も20歳頃に北海道の方達に伝えたと思います。ロシアにも大津波が来る可能性が有るので気を付けておいた方が良いと伝えました。今思えば随分昔から伝えていて良かったなと思います。そしてもし掘って無かったとしても、あれだけ頻繁に地震が発生していたのなら、いつ津波が来るか分かりません。
確かその頃それから私は北方領土問題に関わろうとしなくなりました。
もし日本に返還されて、そこに人が移り住み大津波が来たら危険だからです。東日本大震災でもはっきりと分かった事です。ですのでインタビューで北海道の人にこの内容が伝わっていた事が分かるコメントをしていたので、
私も当時ほっとしました。本当に世の中本当の事だけで良いと思います。
「2022年4月29日記載」
2022年4月25日の続きを記載します。まずスポーツ業界の人も知っていてもらわなければならないのですが、一般人の方やTV局関係者、政府の方達も含めてですが、何故総合運動公園、体育館、サッカースタジアム、野球場など遊歩道の土地代まで計算に入れなければならないのか、これは
昔夏場の花火大会の時に明石歩道橋時間が有ったからです。道が広くない所に10万人程の人が集まり、帰りに混雑して人が将棋倒し状態になり、
多くの人が立に立てなくなったからです。ですので道幅を広くしなければならないのですが、スタジアム関係を作り過ぎると、日本の土地のスペースは少なくなり、畑や田んぼの面積は減ってしまいます。そして大きな高い建物、会社のビル含めて何か変だと思いませんか?人口は減っているのに、
少子化なのに何故そこまで高い建物が必要になるんです。誰も社会の実態を把握していないんです。そして「自分には関係ない」という感覚になってしまうのです。大きな建物を建てれば建てるほど「資源」は減るのです。
そう、金属や石油、石炭などです。そして採掘すればするほど地中の中は穴だらけになるのです。そして一斉崩落で地震になるのです。ここで二通りの例を挙げます。一つは人為的な採掘によるものです。もう一つは地面や山は基本的に岩石ですが、粘土の部分や砂の部分が有ります。その部分から雨が降れば地中に流れます。そして地球の中心へ重力が有る限り流れます。
つまり空洞が出来ます。こういった自然現象は海の底でも起きています。YouTube 21世紀の地震について にて地下約600㎞の所など人類が掘れる距離では有りません。現在はロシアの1万5千mが一番深いとされていますが、情報が違っていればお手上げです。普通のトンネルが50年程経過するとコンクリートの部分が剥がれ落ちる例は珍しくありません。高速道路もです。ではどれぐらいの年月で地下何㎞まで進めると思いますか?そしてその穴を維持するのに、地震が発生したらそのトンネルはどうなるか分かりますよね。あまり深い所までは人類には不可能なのです。ですので私は「知恵」つまりアイデアでどうにかしようとしています。「何が出来るか」と「何を行うべきか」が記載されています。物事を確定してとにかく進めなければなりません。「確定」した事は覚えておいて下さい。忘れると直ぐに
歩いて買い物に行けるのに車を使用するのでしょう。全国民の自覚が必要なのです。
「2022年5月1日記載」
まず人間掘った空洞や自然に出来た空洞について、まっず都市部の地下
を中心に穴埋めを行います。東日本大震災でベルトコンベヤーを使用して
津波対策のかさ上げを行い(15m程。正しすべての地点ではない)
ました。では材料ですが、老朽化した建物から出るコンクリートいわゆる
瓦礫です。こちらを金属を取り出してある程度の大きさにして
ベルトコンベアー穴に入れて、コンクリートで固めます。
両サイドが岸壁ならそのまま土を入れて(河川に溜まっています。
底をコンクリート化はかなりしているのですが、上流や土砂崩れなどで
堆積しています。ですので取り除かないと大雨の時に河川の氾濫
に繋がるか、晴れの日に水が吸われます。大体の地点は河川の中に
草が大量に生えて木まで生えて来ています)河川の中に有る物を利用しましょう。これを地下10㎞地点までを中心に行います。
例えば神戸市内に公営住宅が2000棟以上有るかと思いますが、
(須磨区だけで500棟以上)老朽化したら解体工事に入ります。
その時に金属を取り出して残りの瓦礫を穴に詰め込んでいく
形になります。公営住宅以外も2000棟以上有り、(多分合計で万ぐらい
有るかと思います。会社のビル、商業施設のビル含めて)
5階建て以上50階ぐらいの物も有るので順番に解体していけば
良いかと思います。解体現場から近い穴に入れれば効率が良いのですが、
これはやはり今まで人間が掘った穴の記録が必要でしょう。
昔は土を入れていたかと思いますが、長い年月で流れ出ているかと思います。これでかなりの地震の被害を防げるはずです。
だからと言って新しく作るのは無しです。瀬戸大橋は電車が走っているので
貨物列車などで物流を支えるでしょうから意味が有りますが、
明石海峡や鳴門大橋が老朽化した時には解体して穴埋めを行った方が良いでしょう。これが効率の良い防災です。まず行わなければならないのが
河川水門開閉式ダム発電です。46番を見て下さい。
「2022年5月10日記載。明治時代の正体」
こちらの文章は最後まで読みましょう。
1868年~明治時代
1872年 3月14日 浜田地震 島根県 死者552人
1889年 7月28日 熊本地震 熊本地震 死者20人
1891年 10月28日 濃尾地震 岐阜県 死者7273人
1892年 12月 9日から11日 石川県富山県 での地震死者2人
1894年 3月22日 根室半島沖地震 北海道 死者1人
1894年 6月20日 明治東京自身 東京都 死者31人
10月22日 庄内地震 山形地震 死者726人
1896年 6月15日 明治三陸地震 岩手県沖震地海抜38,2m
の津波と記録されています。死者・行方不明者2万1959人
8月31日 陸羽地震 秋田県と岩手県 死者209人
1899年 3月 7日 紀伊大和地震 三重県 死者7人
1900年 5月12日 宮城県北部での地震 死傷者17人
1901年 8月 9日 青森県沖 青森県 死者18人
1902年 1月30日 青森県三八上地方 死者1人
1905年 6月 2日 芸予地震 広島県と愛媛県 死者11人
1909年 8月14日 姉川地震 滋賀県 死者41人
1911年 6月15日 喜界島地震 鹿児島県 死者12人
1914年 1月12日 桜島地震 鹿児島県 死者29人
3月15日 仙北地震 秋田県 死者94人
1915年 3月18日 北海道十勝沖地震 死者2人
1916年 11月26日 明石付近で地震 兵庫県だと思われる詳細は無し 死者1人
1917年 5月18日 静岡県付近で地震静岡県 死者2人
1918年 9月 8日 択捉島沖地震 北海道 死者24人
1922年 4月26日 浦賀水道地震 神奈川県 死者2人
12月 8日 島原地震 長崎県 死者26人
1923年 9月 1日 関東地震 東京府 死者10万5385人 被害地域 静岡県、山梨県、長野県
1924年 1月15日 丹沢地震 山梨県 死者19人
1925年 5月23日 北但馬地震 兵庫県 死者428人
1927年 3月 7日 北丹後地震 京都府と兵庫県死者2925人
1930年 10月17日 大聖寺地震 富山県 死者1人
11月26日 北伊豆地震 静岡県 死者272人
1931年 9月21日 西埼玉地震 埼玉県、群馬県、栃木県、茨城県
死者16人
11月 2日 日向灘 宮崎県、熊本県、山口県 死者2人
1933年 3月 3日 昭和三陸沖地震 岩手県、宮城県、福島県
茨城県 死者行方不明者3064人
9月21日 七尾湾地震 富山県、石川県 死者60人
1935年 7月11日 静岡地震 静岡県 死者9人
1936年 2月21日 河内大和地震 京都府、大阪府、奈良県
死者9人
1938年 5月29日 屈斜路地震 北海道 死者1人
11月 5日 福島県東方沖地震福島県 死者1人
1939年 3月20日 日向灘 高知県、熊本県、大分県、宮崎県
死者1人
5月 1日 男鹿地震 秋田県 死者27人
1940年 8月 2日 積丹半島沖地震 北海道 死者40人
1941年 7月15日 長野地震 長野県 死者5人
11月19日 日向灘 熊本県、宮崎県 死者2人
1943年 9月10日 鳥取地震 鳥取県 死者1083人
10月13日 長野県北部地震 長野県 死者1人
1944年 12月 7日 東南海地震 三重県沖 死者1223人
1945年 1月13日 三河地震 三重県 死者行方不明者
2306人
2月10日 青森県東方沖 青森県 死者2人
1946年 12月21日 南海地震 和歌山県 死者1443人
1947年 9月27日 与那国島近海 沖縄県 死者5人
1948年 6月15日 東海地方 死者2人
6月28日 福井地震 福井県 死者3769人
1949年 7月12日 安芸灘地震 四国中国九州地方死者2人
12月26日 今市地震 茨城県、栃木県、埼玉県
死者行方不明者10人
1952年 3月 4日 十勝沖地震 北海道 死者33人
3月 7日 大聖寺沖地震 富山、石川、福井県 死者7人
7月18日 吉野地震 中部、中国、四国地方死者9人
上記の内容が以前の内容ですが、学校でも皆さん習いましたよね。「明治時代の文明開化の音がする」と、戦艦や零戦などと言う航空機が作られていましたが、1800年代なかばから鉄鉱石の獲得競争が激化して、地面の中を穴だらけにして発生したのが関東大震災です。その他の大きな地震の死者の数をしっかりと見ておきましょう。地面の中の空洞が一斉崩落が基本的に地震です。そもそも上記最初の方に幕府、つまり首都が出来た所で大地震が発生しています。京都府や神奈川県の鎌倉時代など。
「97地震について東日本大震災何故関東が揺れたか」
「2023年6月18日記載。理由と根拠」
東日本大震災の時に何故関東が揺れたか、これは阪神淡路大震災の震源地と大阪府の震度を調べれば大体分かります。阪神淡路大震災の時は大阪府の大体の所は震度4でした。東日本大震災の震源地から関東はかなり離れていますが、茨城県、東京都、千葉県、埼玉県の地下からガスを採掘しています。長年の採掘で空洞化が広がり一斉崩落したのでしょう。そうでなければあの距離東京都などがそこまで揺れる訳が有りません。秋田県の昔からの石油の採掘で新潟県や石川県で昔から地震が発生しています。
車を売るのも世界的に仕事で早朝出勤などで送迎バスなどが無く、歩くと1時間程かかる人などに限定しなければ、
近い将来石油は足らなくなるわ、天然ガスは足らなくなるわ、
石炭は足らなくなるわ、掘ったら堀ったで地震が発生するわ
(一斉崩落)本当に国連レベルで対応しましょう。
何のために電車を作ったのか分からなくなります。
政府も早く「河川水門開閉式ダム発電」と「地下水流ストレートトンネル回転扉発電」を作りましょう。
「2022年5月11日記載。中国の昔の将軍(本当は官だと思います。文官の方です)白起」
しろおきると書いて白起と読んでいた様ですが、
「40万人を生き埋めにした」とされていますが、鉄鉱石を
採掘して地下を空洞化して一斉崩落などで地震を発生させり、それなりの崩落で作業員が生き埋めになったのでしょう。金属が無ければ木を切る斧が作れません。木を切れなければ家を作れません。包丁も良い包丁が作れません。研げば金属もすり減るので、(本当に槍や刀や鎧など作っていたら怒られそうですね。そして当時のほとんどの槍は竹です)武(この字も「たけ」)と現実的にそうだったからでしょう。しろおきると書いて白起と読んでいた様ですが~の文で理解できるかと思いますが、日本も昔から立派な城を作ったら大体その後はほったらかしです。シャベルカーなどの重機が世の中に出て来たのは明治維新の後です。現実的に日本も昔の城が残っているのを見れば分かります。昔の戦国時代の話も大体大袈裟に(おおげさ、と読みます。お坊さんが着ているのが袈裟です)書き立てたのでしょう。(立札)私も体を鍛えた事が有りますが、中身の入った灯油缶を同時に4缶同時に持って歩き回れる筋力です。(1缶18ℓ)その体の感覚で言いますと、日本の端から端まで行軍するなど不可能かと思います。理由を記載します。
1,夏以外雨が降っただけで全身濡れたら体温が低下して野宿など不可能です。そして食料もダメになります。大体雨降ったらご飯炊けません。ガタガタ震えながら体力が無くなり死にます。
鎧を着て刀(鉄製)を持ってどこまで歩けるか自分で試したら分かります。背中にリュックなら20㎏位背負う様な物です。リュックだと歩きやすいので。秦の時代に統一出来たのは他国の言語を理解出来る(文字含めてかと思います)者を他国の数だけ揃えれたからでしょう。水責めの計などは河川の工事を怠っていて氾濫させてしまったからでしょう。はんらんと読むのも分かる立札でその様な嘘を(水責めの計)記載したら誰が反乱者なのか。
昔の小説家が戦国時代などを大袈裟に書いてしまったのでしょう。日本の「武蔵坊弁慶」は都(みやこ)の入る入り口で、危ない持ち物(刀など)はここに預けないと入らせませんの人です。どうせ預けた方が名前を書き忘れていたのでしょう。もしくは預けたら返ってこなくなって小説で書かれた方かもしれません。義経がひらりひらりと(攻撃を避けていたとされていますが、貴重な刀が返ってこなかったら大変なので預けるのを拒んでいたのでは。余程(よほど)の家系の者でなければ刀など買えません。長旅も帰りは熊や猪が出てきたら怖いので持っていないと不安だったのでしょう)の交わしていたのは文章の方かもしれません。自分御背丈や着ている衣服の色や形などを持ち物の本人で有る事をしっかりと詳細を記載しなければ別の人に盗まれて売られる可能性が有ったでしょう。それと野党に遭遇したら大変です。そうそう旅には出れません。
2,昔の地図はいい加減。無茶苦茶な地図など日本の大きさが中国と同じぐらいの物が日本の教科書で「当時はこれぐらい地図が不正確」と教えていたはずです。道が無茶苦茶な地図などを持って山の中に入るなど全軍全滅です。方角が分からなくなり、帰るに帰れなくなります。「46河川水門開閉式ダム発電」の映像などを見ていれば分かります。「石井ダム上流から石井ダム烏原の水源地」を見れば分かりますよ。道が有るから進めるので有って、昔はほとんど道など作ってくれていません。歩かないと草や木が生えます。徳川家康は地方の状況と顔合わせの為にある程度の数の人で参勤交代をしていたのです。これで草が生えにくくなり道がキープ出来ます。
3,水筒(すいとう)の水が減るだけで危機感が出て来ます。
何処に河川が有るか分からなかったら大変な事になります。
米などを焚くための水にも手を付けるとさあ大変。どこかの民家に助けを求めるしか有りません。民家の方は道から少し離れた所に建てて通過してもらわないとしょっちゅう井戸に水を汲みに行かなければなりません。旅人に汲みに行かせる方法も有りますが、相手が偉い人なら大変です。
「2022年9月24日記載。今年の京都の震度4の地震について」
今年に入って京都府で震度4の地震が二回有りましたが、
両方とも大雨が降った後に発生しています。これは地中内で土の部分が流れ出して地面の中が空洞化して一斉崩落が発生したからだと思われます。正直一番あやしいのは河川の底からだと思います。46河川水門開閉式発電ダムを見て下さい。
河川の水の量で解ります。幾つも河川が合流して水量が上がっているはずなのに少し少なく見えます。つまり、河川の底の亀裂にコンクリートを流し込んで塞いでしまえば地震の回数を少なく出来る可能性が有り、更に発電に使用出来る水の量を増やせるという事です。河川の氾濫については長年上流から流れて来る土が堆積していて排水量が低下しているからです。それと河川の氾濫時はダムからの放水による部分が大きく、放水を失敗しなければそう簡単に河川は氾濫しません。46番の映像を見れば分かります。土の体積量がかなり有ります。後は大雨の時に流れて来る石、これは石垣用に使用すれば良いかと思います。兵庫県武庫川西宮市と宝塚市の間の生瀬大橋近辺の武庫川にはごろごろと大量に有ります。河川の氾濫のもう一つの要因は両サイドに石垣を組んでない事によって発生しています。当然ですよ。土では大雨が降ると流されていきます。決壊するのは時間の問題です。
河川の底の工事など簡単です。武庫川の上流から河川水門開閉式発電ダムを造り、昼間に水をせき止めておけばいいのです。そうすればそこからの下流で他の河川との合流地点までは水が無いのでミキサー車を河川に降ろして10メートル事に生コンを降ろしてグランド整備にて使用しているトンボで広げれば良いのです。その前に土砂を取り除く必要が有りますが、出来高制の人海戦術で高校生以上の運動部の人達にフィジカルトレーニングとしてスコップで3輪車に乗せて(1輪車はでこぼこの所だとこけます。手押しの物です)トラックまで運べば良いのです。これで防災と
発電効率を上げれます。後は河川の氾濫についてですがダムの放水の失敗を防ぐには二段式も有りますし、ダムから放水している河川に地下水流ストレートトンネル回転扉発電か現在行われているダム放水型発電を設置して、大雨が降りそうな気配が天気予報で有ったなら、貯水量が多い時には三日前から放水しておいて大雨の日は放水しなければ良いのです。河川の氾濫の残りの原因は河川が細くなっている区間が有り拡張工事の必要が有るからです。それとカーブ地点です。壁に当たるので波になり石垣を乗り越えっぱなしになるのです。直、河川の工事にて土砂の掻き出しや石垣を積み上げるのはプロのアスリートの人に人力で行ってもらえば良いのです。50㎏~100㎏の物なら一人当たり1日100個以上は積めます。その為の地方巡業でも有るのです。
つまり重機を出来るだけ使用しない世の中に変える事、
車の生産量を世界中で100分の一に低下させる事、
エレベーターのない低い建物だけにする事、(日本は40年以上少子化です。出来ます)正直東京都やその近隣の県と愛知県や大阪府などの
12階建てのビルが小さく見えるぐらいの巨大ビルの群れは
誰がどれだけのエネルギーの消費(石油など)して
解体するのか。廃棄の仕方は上記に記載しましたが、、、
この時点で世界中で何故大きな建物を建て続けたのか。
世界中の報道機関で永遠に建てないように放送する事です。
当然先に行政がその様に発表です。