「粟井啓介の履歴前半・後半」

追記:冒頭でお伝えしますが、途中で出て来る中国包囲網は後ほど

中国の方達に謝罪しています。ニュースが間違いだらけなので

何をどう対応すれば良いのか分からなくなった時この様な発言に

なるのかと思います。気遣いからでもそうなります。

ニュースは昔の映像が出て来る事も有るので(現在の時間軸で

行われていると勘違いしてしまいます。そして映画に使用した物混ざり

の部分が本当に有ります。それも映画が先なのか軍事演習が先なのか、

戦車を作り間違えたのか(砲身が1メートル程しかなくマシンガンの様な物でおよそですが、砲身が回らない物も出て来ていました。周りに歩兵3人に

囲まれて戦車の中から手を挙げて出て来ています。ここまでされると

コメディです)昔の戦争の本当の映像はきつ過ぎます。

皆さん様々な意味でニュースにご注意ください。

日本なら現行法規、日本現代法規、こちらを図書館で閲覧して

自宅に六法全書1巻2巻と都政六法、行政の窓口の書類、

世界国勢図絵、それとある程度の判例(これはTVのニュースで流れます。

特に最高裁判所の判決はメモなど記録しておく方が良いでしょう)

これらがなければ判断が間違えます。それと世界の5大問題と

何故地震が発生するのか。それは36番やその近辺の番号

97地震についてを見れば分かります。エネルギーの残存量問題をまだ完全に思い出していない状態でしたので間違った内容が幾つか有ります。F35の生産に加担してしまった事、核兵器の事(昔から原子力発電所用のウランを核兵器に換算していて、そこまで本当に造っているわけでは無く、数は減っています。ゼロになった時原発が終了です。ダルビッシュ有記念館も私の失敗でした。造るべきではなかった、倒産した空いているテナントで賃貸料を払い一時的に行うべきでした。次に大谷翔平選手が活躍した時に入れ替える、こうするべきでした。エネルギーの残存量問題の解決はホームページ粟井啓介の履歴の58番です。尚、ガソリンスタンド店頭価格は1ℓレギュラーガソリンで200円以上。これに合わせてハイオクや軽油、灯油の値段を調整する。

 

 

「粟井啓介の履歴前半」

はじめに

みなさん初めまして。私の名前は粟井(あわい)(けい)(すけ)といい

1977年8月9日生まれの神戸市民です。

兵庫区に住んでいたのですが阪神淡路大震災で被災し

北区藤原台の仮設住宅へ引っ越しその後、定時制高校に

通っていたので仕事を探し、人材派遣ファイン配膳(現在

ファインスッタフ)からの派遣で神戸市立ホテルフルーツフラワーパークで働く事となりました。18歳の頃です。

そこでTV局関係者の方や政治家の方、そして皇族の方と

面識を持つようになりました。

現在ではそのパイプを使い私は日本を良くしようと

政治経済やTV局の放送する番組まで様々な分野で影響を与えて居ます。

「粟井啓介の履歴」はそうなった過程を書き留めた物です。

全てを発表出来る訳ではありませんが公表出来る部分は

思い出せる限り公表したいと思います。

その中から世の中の仕組みや私の想いや情熱が伝わり、

共感して頂いたり、味方をして頂いければ幸いです。

何分この様に書留みなさんに発表するのは初めてですので

至らぬ所があるかとは思いますが大目に見て頂くようよろしくお願い致します。それと今から始まる前篇は主に様々な人との出会いなどを書いているので政治経済での関わりだけを知りたい人は後編からお読みください。

それでは前篇のスタートです。

前篇

1996年3月から私は人材派遣会社「ファイン配膳」

から神戸市立ホテルフルーツフラワーパークで勤務する事となりました。仕事の内容はレストランや披露宴会場や宴会などのウエイター業務です。

特別この道に進みたかったわけでは無く求人広告で

時間給が高かったのでそれで飛びついたのが本当の所でした。

なかなか厳しい世界でしたが稼げる事も有り自分なりに

頑張り働いていた頃、かなり以前なので記憶がこの時期だったか確かかどうか怪しい所なのです。ある日の事バンケット(宴会部)での仕事の日に宴会部の主任の方にVIPが来ていると言われ

こちらはてっきりその主任の方が付くのかと思っていたら、

私が抜擢されました。仕事の内容はコース料理のサービス

で私は失敗しないように細心の注意を払いながら料理を

お出ししていました。VIPと聞いていたのでどの様な方なのかな?と思っていたのですが、お会いしてみるととても上品で朗らかで爽やか、

そして気さくで良くお話をされる方でした。多々私の事を聞かれ、当時は仮設住宅暮らしだったので仮設住宅の話しや震災の話をしてました。途中

からどうゆう方達か気になって主任に聞くと相手は皇族つまり天皇家の方達だったので大変驚きました。

それまで皇族の方はもっと偉そうにしているものだと思っていたのですがとても庶民的だった事に驚き、そして畏れ多くも親近感を抱きました。何故ならとても多くの笑みがこぼれ、被災地の事をとても心配していた事が伝わって来たからです。ここでとても恥ずかしい事なのですが、その来て頂いた皇族の方が両陛下か皇太子殿下ご夫妻だったかその両方だったかはっきりと思い出す事が出来ません。何分20年近く以前の事なのでお許し下さい。ただその後雅子様と思われる方が来られた事は覚えている次第です。

1996年6月頃私はバーベキューコーナーで勤務していた時とある方に声を掛けられたのですが、どうやらTV局の役員の方のようで私の事を知っていました。以前ホテルで勤務している時に色々と震災の頃の事など話していたようです。この頃はまだ役員とゆう地位を私は良く分かって無くどれだけ偉い人と話しているか理解していませんでした。そのためか臆する事も無く話しやすい雰囲気の方達だったので、ホテルでは様々な事を話していたようで、私はこの様な事を提案していたようです。「今後TVに出て輝く人は被災地に来て働いてくれた人間性の良い人達が輝くべきだと思います。」と。どうやらその時の話が通ったらしくその事を伝えに来たようでした。これはどこのTV局とゆうわけでは無くどうやら全TV局でその様にするとの事でした。それとこれはその時に言ったのか、その後なのか覚えて居ませんが、何かして欲しい事を聞かれたので「母子家庭の子などにチャンスを多く与えて欲しい」事と早く結婚したかったので「こんな僕でもいいとゆう方、結婚相手募集中です」とゆう事を伝えました。この様な経緯が有りその後多くの今後活躍する人や現在活躍している人が働きに来る事となりました。1996年夏、今後有名人となる人で最初に出会ったのが現在フリーアナウンサーの西尾由佳理さんで、当時19歳になったかどうか位の年齢で私と同い年でした。お互い話し出すとすぐに意気投合し、頑張って私は告白してみました。すると西尾さんは「私も気になって居たの。」とOKしてくれました。結婚の事まで話をしていましたので私は「きれいな人で良かった。」と喜んでいたのですが(ここまでは良かった!)自宅を聞くと千葉と言われ、「あれ?この辺に千葉町なんてあったかな?と思っていると」「千葉県をしらないの?東京ディズニーランドがあるとこよ。」と言われ、愕然としてしまいました。これは会いに行く旅費の事などを考えると「これは無理だ~」と私は頭を抱え断念しました。その事を西尾さんに話すと「粟井君もこっちに来たら」と全然あきらめてない様子。まだ当時は仮設住宅に住んでいたので何だか自分だけ勝手に抜け出す事に気が引けて居たのと東京や千葉で仕事があるかなどの不安も有り私は諦めモードでした。西尾さんは私が今まで女性と付き合った事は無く海にも行った事が無い事を告げると「夏休みに実家に遊びに来て海に行こう」と誘ってくれたのですがそこまで踏み込む勇気が持てず住所や電話番号を聞かずじまいでした。次に会ったのが藤原紀香さん。紀香さんも何度も働きに来てくれた人ですぐに仲良くなりました。西尾さんとの事を後悔しつつも「このまま独身は嫌だな」とゆう気持ちは持っていたので紀香さんに付き合っている人は居るのか聞き自分は居ない事を告げると何と!西尾さん登場。「なにしてるのかな~」と言う西尾さんになぜだか、しどろもどろになってしまう自分でした。「ちょっと後で話があるんだけどいい?」と言われ、仕事が終わった後話をした所「私は今でも付き合っているつもりなんだけど」と言ってもらい、私は有頂天になり(もう終わったと思っていた。)西尾さんの部屋に行きたいと言い出すと、「さっきの人の部屋には行ったの?」と怪訝な顔の西尾さん。言って無い事を告げても機嫌は治らずやや口論となり御付き合いの見直しを下される事となる。

この位の時期だったと思いますが小さな女の子でとても気に入られなついてくれました。名前は安藤美姫といい当時小学生でした。何度か会いお母さんとも親しくなった頃いつも母親と一緒に来ていたのでお父さんの事を聞いてみると美姫ちゃんは泣き出しそうになりもう亡くなった事を

教えてくれました。私は「やってしまった。!」と思い、

どうにか余計な事を聞いたことを許してもらおうと、その日の晩に、シェフに頼み特性フルーツ盛り合わせを用意してもらい。ホテルフルーツフラワーパークではルームサービスはやってないのですが部屋に届け昼間の事を謝罪しました。すると美姫ちゃんはフルーツ盛り合わせ見て大喜びしお母さんは「そんなに気を遣わなくても大丈夫ですよ。」といい当時まだ19歳位の私をしっかりしてるわねと褒めてくれ、ますます仲が良くなりました。そんな頃美姫ちゃんは将来私と結婚したい。と言ってくれました。まだ小学生だったのでまさかそのまま大人にはならないだろうと心の中では思いながら私は美姫ちゃんに快諾の返事をしました。随分と忘れていた期間があったのですが今でもこの想い出は私の大事な想い出です。

1996年~1999年の間多くの方が働きにきてくれたのですが男性の中ではキンキキッズの堂本光一君。彼は

1997年夏か秋頃働きに来てくれました。勤務地はBQ(バーベキュウ)コーナーで汗を流してくれました。当時はデビューして間もなかった頃なのですがやはりジャニーズ。気が付くお客様もおり、多々彼の隣で仕事を教えて居た私はマネージャーに間違われる事がありました。働きぶりは真面目で話しやすく(歳は私と一つ違い。)それまで私が持っていたジャニーズのイメージとは違い親しみを覚えるものでした。他にも親しみを覚える人は多く、同じく働きに来てくれた女優の鈴木杏樹さん、や深田恭子ちゃん。モデルの押切もえさんと蛯原友里さん。歌手の八代亜紀さんや堀ちえみさん その後アナウンサーとなる高島彩さんや小林麻耶さんここからは記憶違いかもしれませんが平井理央さん皆藤愛子さん武内絵美さん河野明子さん市川寛子さん赤江珠緒さん、マラソンの高橋尚子さんらも働きに来てくれたと思います。もしも違っていたらすいません。赤江珠緒さんは当時私が住んでた仮設住宅が見たいといい家まで来たり、当時モデルをしていた平井理央さんをアナウンサーになることを進めたような気がするし、市川寛子さんにイッチーとあだ名をつけたりおぼろげながらに記憶がありますがもしかすると記憶違いかもしれません。何分芸能界の方だけでなく政治家の方達もこられたりしていたのでほとんどうろ覚えでした。気付いた方もいらっしゃるかと思いますが将来アナウンサー志望の方は当時はまだ入社前です。ですが皆さん活躍され、各局の看板アナウンサーとなった方も多くいます。これは以前TV局の役員の方達にお願いしてい居た「被災地に働きに来た者を活躍させて欲しい。」との約束を守って頂いたからかもしれませんし、働きに来たとゆうことはこの人達は予め「つて」が有ったのかもしれませんがこんなこともありました。

時々私の様子を見に役員の方が会いに来られたのでいちいち東京から来るのは大変だと思い代表で当時関西テレビの社長千草さんが窓口になって頂きました。高島彩さんがフジテレビと決めていたようなのですが本人は不安がっており西尾由佳理さんもフジにいったらどう?と2人なら不安も無くなるだろうと思い促してみました。当時はその後どうなったかは知りませんでしたが、どうやら西尾さんはもともと日テレとつてがあったようですがフジテレビと両方採用試験を受けたようです。今思えば余計な事をした私も私ですが両方受けた西尾さんも西尾さんですね。

フルーツフラワーパークで働き始め3年がたった頃、それまでは震災後でしたがまだオープンして間もなかった事も有り仕事もたくさん有ったのですが徐々にお客様の数も減り、人材派遣の私の仕事も減り、どこか稼げる所は無いか事務所の人と相談すると、大阪のヒルトンホテルへ行かないかと勧められ私はヒルトンホテルへ行くことを決めました。この頃それまで会った人の事は完全に忘れている状態でした。今でも多々思うのですが出会った人とちゃんと連絡先を交換しておくのだったと。ただやはりまだこの頃は芸能界とは縁の無い「世界」だったので連絡先を交換する事も無く、今は大変後悔してます。1999年6月から私はヒルトンホテルの中華レストラン王朝(ダイナスティー)で勤務させて頂く事になったのですが勤務し始めてから知ったのですがこのダイナスティーの売り上げが関西のレストランの中で一番で、関西ナンバーワンのレストランとゆう事でした。それとヒルトンホテルとは世界で一番最初に最高級ホテルを手掛けた所で多くの最高級ホテルがヒルトンを手本としており創業者のコンラッド・ニコルソン・ヒルトン氏が「ホテル王ヒルトン」として知られています。それらを知った時はとんでもない所へ来てしまったなぁ、などと驚いたものでした。もともとホテルマンの世界は厳しい世界のなのですが輪にかけてヒルトンは厳しく、レストランの中では料理長が一番偉のですが少しでも仕事が遅れるとどやされるのですがそのどやされている間にどんどん仕事が遅れるのであっちこっちから怒られます。例えばドリンクを用意している間に料理があがって来て直ぐに持って行かなければキューブアイスが飛んできます。「早く持って行け。」の合図なのですが私は、ついつい、元野球部だったので、反射的にキャッチしてしまいました。思いっきり縦社会の世界で楯突いてしまったわけです。すると怒りながら本気で投げて来るのですがこれが外れ後ろに有るガラス張りの冷蔵庫に当たり、「割れてしまったらどうするんだ!」と言われても「すいません!」と言わなければならない。こういった理不尽な厳しさが毎日の様に押し寄せる大変さが有る中で走り回る日々でした。そんな中夏の終わりか秋頃藤原紀香さんが社長と(事務所の社長さんかTV局の社長さん、千草さんだったような気がする。)食べに来てくれました。どうやら僕に会いに来たようで私はテーブルに呼ばれました。目的は結婚の話なのですがその頃の私はフルーツフラワーパークで藤原紀香さんと一緒に働き仲良くなり結婚の話などをした事など一切忘れていたのでキョトンとしていましたが話していくうちに人柄の良さを知りまた好意を抱くようになりました。泊りに来ていたようで部屋に誘って頂き行きたいのは山々だったのですが次の日も仕事だったのでお断りしました。料理長の唐さんにその話をすると料理長は「本当に結婚するならスイートルームをとっといてやるぞ。」いわれ、「そんなお金ありませんよ。」とゆうと「バカおごりだよ。」と言ってくれました。(ヒルトン大阪のスイートルームは一泊40万円で一般の人はまず泊まりません。)「今から連絡してみるか?」と背中を押して頂いたのですが何だか今返事をすると絶対結婚しなければなら無いような気がして怖気づいてしまい(当時まだ22歳で自分が親になる自信が無かった。)そのままにしてしまいました。その後段々部屋に行かなかった事を後悔し始め、せめて連絡先を交換しておけば良かったと悔いていた頃今度は鈴木杏樹さんが結婚したての旦那さんと食べに来てくれました。が、私は当時あまりTVを見なかったので藤原紀香さんと鈴木杏樹さんの区別がつかず、覚えて居たのは年上の女性できれいな人で女優さんが藤原紀香さん、とゆう大雑把な認識をしていたので勘違いし、杏樹さんに「この間の件はすいません。あの後後悔しました。」と言ってしまい、「この間の件??」と当然話は繋がらず私はこの間の経緯を話ました。「そんな事があったのねぇ。」と興味津々な杏樹さん。その後はどんな話をしたかはよく覚えて居ないのですがフルーツフラワーパークで一緒に働いた事、仲良くなった事などしっかり日記にでもつけとけば良かったといまでは反省しています。これも同じ位の時期なのですが今度は国会議員の方が会いに来てくれました。以前フルーツフラワーパークで何人もの国会議員の方と話をした事があるのですが当時はあまり政治に興味が無く一人として名前を覚えて無く、「大臣が6名様で来られているけど。お前の事知ってるみたいやけど」と言われた時は慌てました。慌ててもどうにかなるものでも無いのでテーブルへ行き全く覚えて無い事を告げると笑って説明してくれたのですが現在ではその六名の方達の名前は覚えて無く、これも反省しきりです。ダイナスティーに来て頂いて方はもしかすると他にも来て頂けていたかもしれません現在思い出せるのは以上の方達です。2000年3月頃からは当時は淡路島で花博が有り、それに合わせて淡路ウエスティンホテルがオープンするのですがウエスティンで働かないかと事務所の人に誘われ、私は迷ってました。その事をヒルトン側へ伝えると嬉しい事に引き留められました。そうこうしているうちにウエスティンホテルでの常備契約は無くなり、隣接する夢舞台とゆう施設のレストランの一つ収穫祭とゆう名前のレストランで働かせて頂く事となりました。五月頃だったと思いますがここでも相変わらずどうやってこちらの居場所を知るのか西尾由佳理さんが働きに来てくれ仕事が終わった後一緒に花博を見に行こうと誘ってくれました。が、この時三年ぶりの再会なのですがもうすっかり忘れており、のんきに

積極的な子だな~などと思いながらも断ってしまいました。その時の西尾さんの残念そうな姿となぜあの時行かなかったのかこの数年後後悔するのでした。菅野美穂も働きに来てくれたような気がするのですが記憶が曖昧ではっきりしません。菅ちゃんとは幼馴染みで親戚が神戸にいるらしく小学校低学年の頃何度か遊んだ記憶が有ります。子供の頃結婚の約束をしたようでそれで会いに来てくれたようです。仕事が終わった後座敷席で二人で話したような気がするのですが、やはりよく覚えていません。もし間違っていたら御免なさい。6月頃のとある日「どこそこの社長が来るからおってな」と言われ夕方待っていると「こんにちは~」と二十歳位の女性二人と中年男性が一人やってきました。とても美人だったその女性二人は押切もえちゃんと蛯原友里ちゃんで、僕の顔を見た瞬間友里ちゃんが「あ!照れてる照れてる。」と笑い出し、もえちゃんが「そんな事言ったら失礼だよ。」となだめる場面があったのですが相変わらずフルーツフラワーパークで一緒に働き仲良くなった事を忘れて居た僕は金持ちの社長がキャバ嬢お連れて来た、思い思わず心の中では「世の中金か~」と勘違い。するとテーブルに呼ばれ僕もテーブルに座り二人が説明をしてくれました。どうやら社長とは事務所の社長さんの様でその方は席を外し三人で話を始め、思い出す事が出来なかったので自己紹介から始まりました。二人はモデルをしているとの事だったのですが私が芸能界にうとく、(時期としては二人がちょうど有名になりかけていた頃だったと思います。)知りませんでした。ただフルーツフラワーパークで一緒に働いて居た頃はもえちゃんととても仲良くなり結婚について話をする機会も有りどうやらその時の事を覚えて居てくれて、それで会いに来てくれたのでした。記憶は無くとも話していてもえちゃんからは女性らしさと上品さが伝わりとても好感の持てる人でした。「結婚を前提に付き合いませんか?」ととてもありがたいことを言って頂いたのですが東京との遠距離恋愛だったのでお金も時間も無かった私は断ってしまいました。もしもタイムマシンがあるなら今からでも過去に戻り、自分に現在起きて居る事がどれだけ有り難い事か説教したい所です。この後花博が終了した頃私は冬場に稼げる仕事はないかと探したところ灯油の巡回を見つけ、私はそちらでかせてもらう事にしました(会社名はシューワ株式会社)これは人材派遣の仕事は比較的冬場は仕事が少ないからです。灯油の巡回販売の仕事場に誰か来たことがあるような気がするのですが記憶が曖昧なので書かないでおきます。春になるとホテルフルーツフラワーパークに戻り、カトレアとゆうレストランで店長をさせて頂きました。ここでは毎日放送のアナウンサー前田阿希子さんのお母さんが洗い場に働きに来てくれていました。バンケットの方で前田阿希子さんも働きに来てくれたような気がするのですが、当時は高校生だったと思います。思い出せている中ではもう一人働きに来てくれた方がいるのですが女優の松たか子さんです。夏場にレストランカトレアではバイキングを行っているのですがその手伝いに来てくれました。初めて勤務するとは思えないぐらいテキパキと働いて頂き大変助かり歳も同じとゆうこともありすぐにうちとけ意気投合し仲良くなりました。話していて楽しかったのとあわよくば付き合ってもらえないかな?と思い、その日は宿泊予定の松たか子さんに、部屋に遊びに行ってもいいか聞きました。すると松たか子さんは意を決したかのような顔をし、「結婚する気があるなら来てください!」とおっしゃいました。そこまで考えてなかった私はたじろぎ心の中で「部屋に行くとゆうことは結婚をする気じゃないとダメなものなんだ。」と思い、正直にそこまで考えてなかったと伝えました。その日は軽蔑されたかな~と肩を落としていました。次の日会うと少し昨日のことを話しました。どんなことを話したか記憶は定かではないのですが松たか子さんの方から付き合うかどうかとゆう話を切り出してくれました。所が昨日の松さんの迫力に気おされてしまった私は断ってしまいました。自分でもあかんたれだな~と思ってしまいます。この事も今思うとなんでこんなチャンスを逃したのだろうと後悔する次第です。その年の冬はまた灯油の巡回販売をしていました。

翌年2002年4月私はサンパレス六甲とゆう結婚式場で働く事となりました。もともとファイン配膳だった先輩の人がアコール配膳とゆう別の会社に入り獲得してきた現場で、その時に誘われました。ここで少し事態を説明すると、ファイン配膳からシューワ株式会社、アコール配膳と渡り歩いてるのですがこの時のサンパレス六甲にもいろんな人が会いに来ました。どうやらどこにいても分かるみたいです。最初に現れたのは西尾由佳理さん。何かの集まりの司会できていました。結婚うんぬんの話をしてきてくれたのですがもうすっかり存在を忘れていた私は「この人は誰だっけ?」とゆう始末で話が進みませんでした。次に現れたのは安藤美姫ちゃんでした。当時はまだ高校生になりたてぐらいの頃です。以前ホテルフルーツフラワーパークで小学生の頃の美姫ちゃんと大きくなったら結婚すると約束した事がありました。ずっとその事を憶えてくれていたみたいでその事もあり働きに来てくれたのでした。顔を赤くしながら自宅の名古屋にまで遊びに来てほしいと誘われたのですが本当に忘れっぽい私はその時思い出すこともできず金銭的な事情により断ってしまいました。この事も後で思い出した時にとても後悔することになるのでした。次に来てくれたのは鈴木杏樹さん。私の様子を見に来たらしいのですが当然過去会ったことは記憶に無く「誰だろう?」といった態でした。芸能人で話したい人を聞かたのですが特に芸能人には興味が無く、昔ドラマ「王様のレストラン」見ていたのを思い出し、どうにか出てきた名前が山口智子さんでした。すると鈴木杏樹さんが電話をかけはじめ受話器を私に渡すと山口智子さんでした。話した内容は記憶が曖昧なのですがどうやら私のことを知っているみたいでした。山口智子さんも以前フルーツフラワーパークに来て私と会っているのかもしれません。

次に会いに来てくれたのは眞鍋かをりちゃん、はとこです。親戚なのですが会った事があるのは四国の田舎のおばあちゃんが亡くなった時で、私が中学生でかをりちゃんが小学生の頃でした。それ以来会ったことはなかったのですが、かなりバツの悪い話ですがこの時も子供の頃お互い気に入り将来結婚のことを話したりしていました。その事を憶えていてくれたのですが私の方はいつもの通り忘れていたのですが親戚であることも忘れていました。「この娘は誰だろう?」とゆう始末でした。しかしその事をあらかじめ見越していたかをりちゃんは私の母親の写真を持って来ており、四国のおばあちゃんの葬儀の時に仲良くなった事を話してくれました。順序だてて話をし私と付き合って結婚する気はあるかと聞かれました。もし子供の頃の事を憶えていたら大喜びで付き合ったかもしれません。が、その時の私にしてみるとどんな娘か分からなかったので正直に急には答えられない。と言いました。ここまでで2002年6月位だったと思います。そのまま時は過ぎ8月にまた西尾由佳理さんが来てくれました。仕事中だったので少し話をしたのですがこの時西尾さんは「昔付き合っていたけど覚えている?」と言ってくれました。ただ期間が短くデートもしたことの無い関係だったので思い出す以前にそうゆう感覚がありませんでした。西尾さんの事を思い出す前に会話は終わってしまいました。そこから何か月後かにかをりちゃんが来てくれていたのですが話しは進みませんでした。冬位に高島彩さんや小林麻耶さんが来てくれたような気がするのですがあまり話しもしてなくよく覚えていません。鈴木杏樹さんがまた様子を見に来てくれ「どう?結婚相手みつかった?」と聞いてくれたのですがもうその頃は結婚に対する意識は薄く干物男子と化していました。正直にその事を言うと、私は結婚して幸せになれたから頑張れたと励まされました。いつもの事ですが、来る人来る人すぐに忘れるので幸せの方から来てくれている事に私は全然気が付いていませんでした。その後世間話をし、全然芸能人に対して知識のない私は鈴木杏樹さんに偉そうにも本を出しても売れなかったら大変だからやめといたほうがいい(自主出版かと思っていた。)などと言っていました。後で知ったのですがCM17本に出ていたCM女王で売れっ子だったことを知ると失礼なことを言ってしまったなと思いました。2003年4月また私はファイン配膳に戻り、今度は徳島県の鳴門ルネッサンスリゾートホテルのレストランで2か月間だけ働く事となりました。いわゆるゴールデンウイーク対策です。ここでは皇族の方がレストランに来られたような気がするのですが記憶が曖昧です。2003年6月今度はホテルオークラで働かせてもらう事となりました。ここでは小林麻耶さんが発声の講師として私に会いに来ました。結婚の事で来たみたいなのですが、よく覚えて無かったので話がかみ合いませんでした。藤原紀香さんも来たみたいでしたが話をした記憶はありません。バンケットの方では前田阿希子さんが会いに来てくれたような気がするのですがこれも記憶が曖昧です。その後私は不義理を行ってしまいホテルオークラさんに大変迷惑をかけてしまいました。突然辞めてしまったのです。その後自分を見つめ直す時間があり私は西尾由佳理さんの事を思い出しました。ほかの人の事はまだ思い出せなかったのですが、私は自分は今まで何をしてきていたんだろうと我に返りとても後悔していました。毎日もやもやした気持ちだったのですがとある病院に通っている時に、その病院にある人が会いに来ました。高島彩さんです。そこで私は大粒の涙を流しながら自分の過ちを悔いていることを話しました。元々早く結婚したかった事、いつの間にか働くだけの人間になっていた事、とても大事な恋愛を逃した事、高島さんは僕を抱きしめながら聞いてくれました。その後私が落ち着いた頃、東京に来ないかと聞いてくれました。私の母に会せてくれないかとも聞きました。

正直に言うと、高島彩さんの事は忘れていましたが、抱きしめてもらった時にこの人と居たい、と好きになりました。ですがもし西尾由佳理さんがまだ僕のこと想ってくれていたら、と考えるとついていくことは出来ないと思い断りました。そして図々しい事に西尾由佳理さんにここで会えないかと相談しました。私が覚えているのは次に来たのは小林麻耶さんと小林麻央さんでした。小林麻耶さんに話しかけられ親しげな口調でした。座って話していたのですが小林姉妹を忘れていたので、まさかとは思い少し肩にもたれてみました。すると麻耶さんはニコニコしており、前から見ていた麻央さんは「あら~仲良いですね~」と冷やかし気味。その様子を見てどうやら会った事があるようで仲良くして頂いたようです。そして麻耶さんが笑顔で「私の事好きなんですか?」と聞いてくれました。私は「正直いって誰か覚えていない。」とゆうと案の定麻耶さんに怒られました。その後話をしていた所麻央さんは東京に連れて帰ろうと麻耶さんと相談を始めました。とても頼もしく有り難い申し出だったのですがその時の私にしてみれば初めて会ったような感覚だったので断りました。次は西尾由佳理さんが来てくれました。もう会えないかと思っていたので嬉しくて仕方がありませんでした。思わず病院であることも忘れ抱きしめて欲しいとせがむと「アナウンサーはこんな所でそんなことしません。」と言われ、東京に連れて帰って欲しいとゆうと「急にそんなこと言われても困ります。」と言われてしまいました。しょんぼりと私はしょげてしまいました。どうやら温度差があるようでした。何だか西尾由佳理さんの人生の中で粟井啓介はそんなに必要とされて無いと感じてしまい、会えて嬉しい気持ちは吹き飛んでしまいました。その後少し話をしたのですが恋愛の難しさだけが身にしみる再会でした。次に来てくれたのは記憶が曖昧なのですが絢だったと思います。歌を歌ってくれたのですが、歌う前に高い声と低い声どちらか聞かれ、高い声とゆうと「あ~あたし声低い。」と肩を落としていたのを覚えています。ほかは呼吸が苦しくなる病気を患っている事を教えてくれました。もちろん当時はデビュー前だったので歌った時のうまさに驚きました。プロ並みだと私は褒めました。最後に来てくれたのは安藤美姫ちゃんでした。ここでもまだ思い出せていないとゆう状況でした。覚えているのは「礼儀作法を心得ていて偉い」と褒めると

「啓介さんが教えてくれたんですよ。」と言ってくれました。後メダルが取れたら会いに来るとも言ってくれていたのですが何だかわざわざ悪いと断ると「じゃあハガキを贈ります。」と言ってくれました。その後2007年3月この頃また記憶が希薄になり唯一思い出せていた西尾由佳理さんの事も忘れそうになっていました。そんな時目についたのがフィギュアスケートの世界選手権でした。出場選手の中に安藤美姫の姿を見た時に、少しずつ過去どこで会ったとかを思い出しました。最初はまさかとも思ったのですがそれでも応援せずにはいられませんでした。その世界選手権で安藤美姫ちゃんが優勝した時は自分の事のように誇らしげな気持ちになりました。優勝してから数日後私の自宅に美姫ちゃんからのサイン入りのメッセージカードが届きました。そこでああ自分の記憶は間違ってないんだなと確認しました。そこから数日後西尾由佳理さんに会おうと思い、日テレに行きました。そこで自分がどれだけ世間知らずか思い知る事となります。私の感覚ではアナウンサーの方は普通に正社員だし受付で事情を話せば呼び出せるものだと考えていました。無理でした。ここで愕然とします。私は誰も連絡先を交換してませんでした。求められた事もあるのですがそれまで馬鹿なことに断っていたからです。会う手段が見つからず途方にくれました。その後TVを見ていると会った事があるような気がする人がちらほらといました。そこで考えたのがもう一度はっきりと思い出すためにホテルフルーツフラワーパークに戻って働く、とゆうプランでした2007年7月頃からバーベキューコーナーで勤務をさせてもらい少しずつ様々な人の事を思い出していくのでした。働き始めてから一か月か二か月ぐらいの時に、昔も見かけた女性の方がいました。事務員さんの制服を着ていたのでてっきりフルーツフラワーパークの人だと思っていたら歌手の八代亜紀さんでした。後で思い出すのですがそういえば阪神淡路大震災後来てくれていたのを思い出しました。仕事終わりにバーでカラオケを歌ってくれてような気がします。その後タレントの堀ちえみさんも来てくれました。制服はフロントの物だったと思います。「覚えている?」と聞かれ「覚えてますよ。」と答えました。

堀ちえみさんも1998年頃来てくれていました。

西尾由佳理さんに会うのに協力してもらえないかな?と思ったのですがどう説明したものか、どこから話したものかとても長い話になるので仕事中だったこともあり断念しました。こんな時鈴木杏樹さんが来てくれたら頼りになるのに、などと考えていたのですが現れることはありませんでした。その後秋頃、藤原紀香さんがバーベキューコーナーに働きに来ましたどうやら私に会いに来たようです。事前に思い出していたのですが紀香さんから「部屋で話がしたいのだけどいい?」と言われた時は驚きました。当時紀香さんは離婚直後だったのですが私はそれを知らなかったので「それはまずい」と思い断りました。私としても過去の事とかいろいろと話したい事はあったのですが、順序だてて離婚した事を話してくれれば良かったのですがそれが無かったので紀香さんの人間性まで疑うところでした。とにもかくにも断ると紀香さんはその場でしゃがみこんでしまいました。そのような事があったのですがこうなってくるとこちらとしても来る前に事前連絡などなぜしてくれないのだろう?と思い始め、そもそも来る目的なども教えて欲しいと思い始めていました。次に来たのは若い女性で初対面の方でした。聞くとパヒュームとゆうグループの子で当時丁度有名になる頃ぐらいだったと思います。名前は「かしゆか」と言いました。「事務所の人からはなんて言われてきたの?」と聞くと「行って来いと言われたので来ました!」と元気の良い返事。まあ震災から10年以上経ってるしそんなものかとも思いました。次は記憶が曖昧なので間違えていたら大変恐縮なのですが皇太子殿下の奥様、雅子様がフルーツフラワーパークの制服を着てバーベキューコーナーの事務所まで来ました。「様子を見に来た」との事。少しだけ会話を交わしたのですが私はそういえばどこかでみたことあるな~とゆう具合で、相手が誰だか分かっていませんでした。今思うと阪神淡路大震災の後、フルーツフラワーパークに皇太子殿下ご夫妻が来られてそこでお料理をだしたのが私でその頃から気にかけて頂いていたのかもしれません。その後特に誰が来るとゆうわけではなく2008年7月下旬まで進みます。ここでついて無い事に傷害事件の出くわします。被害者は私です。夜家の近くを歩いていると、立ち小便をしている男がいました。そのしぶきが足にかかったことも在り私は「こんなところでせんとコンビニに行ってやれ」と言いました。その後口論となるのですがその男の仲間が3人現れて4対1となりました。警察署のすぐ近く(30メートル位)だったのでまさかここでは殴りかかってこないだろうと考えていました。私は警察署に行き警察官に間に入ってもらって話をすることを伝えると4人は何やら相談し同意しました。私の前後を挟むような形で移動し始め、歩き出してすぐに先頭の男が立ち止まり私はぶつかりました。するとそれを合図に前と後ろの男が同時に殴りかかってき、私は挟まれるような形で左右の下(あご)にパンチをくらい左右の両顎を砕かれました。その時の衝撃で歯は一本折れ数本がゆがみ下顎の歯茎が三分の一ほど削れました。重症です。近くを通りかかった人が救急車を呼んでくれて、私は神戸大学附属病院に搬送されました。その事件があったのは22:00位だったのですが到着したのが23:30位でオペは翌日の9時か10時位でした。オペが終わり集中治療室で目が覚めるとそこには小林麻央さんと本田朋子さんが居ました。いつの間にと驚き、いろいろと話したかったのですが私の口の状態はまずプレートで骨を繋ぎ留め、その状態でキープするために歯茎に上下8本の杭を打ち込み針金で固定している状態でした。しゃべおうとすると口の中で舌を動かさなければならず、下顎の三分の一の歯茎を失い歯の根元まで見えている状態でしたのでしゃべることができませんでした。そんな私を見た小林麻央さんは目に涙をうかべ私の手を握ってくれました。その様子を見た時に、本田朋子さんは何を勘違いしたのかはっとした顔をし、慌てて部屋を出ていきました。一方手を握ったまま麻央さんは今から東京に来ないかと申し出てくれました。とても有り難い申し出だったのですが、少し動いただけで痛かったので慌てて首を振りました。骨は繋がるまで痛いのです。せっかく来てくれたのだし話す内容は筆談で行おうと思い、ペンと紙をジェスチャーで表現すると麻央さんは「お医者さんを呼んできますね!」と言い出ていき、そのまま帰ってしまいました。誰かとまずは連絡先を交換できれば何か協力してもらえるかもしれないと考えていたのですが残念でした。

その後退院した後次のオペまでかなり時間があったのでこの頃から新聞を5紙読むようになりました。日経、読売、産経、朝日、毎日新聞です。これまでまるで興味が無く政治経済は全くダメでした。いい大人がこれではだめだと思い勉強を始めたわけです。法律のことも勉強し始めました。TVもよく見るようになりました。もしかするとまだ思い出せて無い人の事なども思い出せるかもしれない、そう考えたからです。時間はたっぷりあったので

様々な事を思い出せていました。阪神淡路大震災の後、フルーツフラワーパークで役員の方と会った事、そこで話した将来TVに出て輝く人はこうゆう被災地に来て仕事をしたり、なにか励ましたりする人達が良いと言ったこと。その後さまざまな人が来てくれた事、そしてその頃は早く結婚をしたがっていた事、いろんな人がその事を考えてくれていた事、そういったことをずっと忘れていた自分、大体の事を思い出した時はもう30歳、まるで浦島太郎でした。そして働きに来てくれた人達がみんな成功している事、あの時の一言をずっと役員の方達は受け止めてくれていたのだと理解し、何とも言えない気持ちになりました。その後翌年4月、私は父の自宅に居ました。法律の勉強をしていたのですがある日私は三宮近くにある相楽園とゆう日本庭園に息抜きに行きました。その後自宅に歩いて帰っていた所大倉山図書館の近くで菅野美穂らしき人物とすれ違いました。よく似た人かと思っていたのですが帰るとさっき家に女の人が訪ねてきていたと父が言い、その人はシャケおにぎりをおいていったと言いました。どうゆう意味なのかさっぱりわかりませんでした。なぜ連絡先ではなくシャケおにぎりなのか?もし菅野美穂(幼なじみ)なら子供の頃シャケおにぎりが好きだと言ったことがあるような気がするが、ここは連絡先だろうと思いました。

2009年4月か6月頃私は神戸大学附属病院に来ていました。この頃には歯茎に打ち込まれていた杭などは取れており、後はプレートを外すだけでした。その検査に来ていたのですが診察台に行くとその横には小林麻耶さんがいました。この頃には麻耶さんの事もある程度思い出せているのですがやはり急に現れると何から話すものか頭の中はグルグルと迷走していました。そうすると麻耶さんは座ってくださいと言われ私は診察台に座りました。背中を倒し、口を開けて下さいと言われ、まさかと思い口を開けるとそのままC1C2と私の口を見始めました。手慣れたものでどうやら歯科助手としての勤務経験があるようでした。一通り見た後診察台から離れた麻耶さん。正直それまで私は顔が近くにあったのでドキドキでした。とにかくここでは話しずらいのでまずは連絡先を聞こうと思っていた所へ先生が来ました。「麻耶さんは?」と聞くともう帰られましたよ。と言われ「もう?」と私は困惑しました。なぜみんな事前連絡無しで現れすぐに帰るのだろうと。その後私は誰とも会わないまま時は流れ、2011年3月11日東日本大震災が発生しました。

 

粟井啓介の履歴 後半

2012年頃、この頃の私は4年程前からほぼ毎日新聞五紙を読み、政治経済の事を勉強し色々と自分の意見を持つようになりました。当時の日本の状況はとゆうとまず東日本大震災により日本は大きなダメージを受けており、為替は70円台の円高、アメリカとはそんなに仲が良くも無く、尖閣諸島問題で中国との関係も悪くなり、日本は孤立気味でした。そんな中、私は東日本大震災の復興に何らかの形で力になりたかったり、日本は将来デフォルトする可能性が高いと感じていた事から経済の立て直しなどを出来たらなぁと考えて居ました。私からすれば「ああしたらいいのにこうしたらいいのに」思う事がが多く、日々悶々と政治経済分野などで伝えたい事、つまり「提案」が増えていく毎日でした。もしその「提案」がうまくいき多くの人の生活にプラスになれば、阪神淡路大震災の頃全国の人に支援して頂いた事に対する恩返しになるのではないか、そのように考えました。そんな中どのようにすれば自分のアイデアを政府に伝え事が出来るか考えて居た時、2011年東日本大震災の直後にTVで高島彩が視聴者に向かって「皆さんの力を貸して下さい。」とゆうような言葉をCMで流していた事を思い出し私は現状を打開するべく自分のアイデアをSDカードに込め、私は元フジテレビアナウンサー高島彩宛てに送り始めました。過去の出来事から高島彩経由でまずTV局の役員の方にメッセージを伝え、それを国会議員の方に伝えてもらおう、と考えたからです。最初は聞いてもらえるとは思ってもみてなく、ダメもとで送りました。まず高島彩さんが聞き理解しそれを勇気をもって役員の方達に伝えてもらわなければならなかったし、さらにそれを忙しい国会議員の方に、また総理大臣など日本のトップの方達に伝えて理解してもらうなど雲を掴む話だと思っていたからです。ですがそうした気持ちがあったからこそ綿密に計画を立てて「確かに実現すれば面白い!。」と思ってもらえるように考えました。まずは高島さんに会ったのは7年程前だったし、そもそも皇族の方や政治家の方達と接点があった事などを伝えなければならなかったので最初に送ったSDカードでは前編で書いてある内容を説明し後ここでは記載する事が出来ない事を幾つか頼みました。その一か月位にその頼んでいた事が達成され、しっかり話が伝わる事を確認し、国会議員の方だけで無くアメリカ政府にもパイプが有る事を確認できました。この頃は民主党の支持率も大分下がって来ており有識者の人達の間では自民党の方が良いのでは?とゆう声が上がり始めて居ました。その中で私は安倍晋三さんと麻生太郎さんどちらかを総理にみんなで押すように提案しました。理由は色々とあるのですがまず第一にこのふたりは昔阪神淡路大震災の頃、震災後FFPに来て頂き、私はその時お会いしたかもしれなかったからです。あの頃あの場に来て頂いていた方は震災の事を大変気にかけて頂いた方達なので、そうゆう人が総理になり東日本大震災の復興を進めていくべきだと私は伝えました。それともう一つの理由は金融緩和を賛成してくれる方が望ましかったからです。当時は金融緩和に疑問を持つ方が多く、中々出来なかったのとそもそも金融緩和をして円安誘導をしようとしても世界での通貨戦争に敗れる事が多く諦めムードが漂っていました。ただ私の考えではもう一度日本は貿易立国に戻さなくてはならなかったので安倍さんは適任でした。それと、アメリカにパイプがあるなら話の持って行き方によっては円安を認めてもらえるのでは?と考えました。その他2012年内に送った内容で提案した内容は以下の事を提案しました。まず一つは中国包囲網。東南アジアやインドと協力体制を構築し各領土問題に対応するのと、経済分野でも日本が東南アジアや

インド、アフリカの開発を巻き返してゆく、とゆう提案でした。ここで誤解の無い様に言っておきますが、私は反戦派です。ただ領土問題を解決したり、抑止力を上げるには他国との連携は欠かせず、これが私には最上の策だと思ったからです。なのでこの様な提案をしました。話を戻しますが、インドはカシミール地方で長年争っており、南シナ海ではベトナムやフィリピンともめており、出来る可能性はかなり高いと考えました。中国の仲の良い国はミャンマー、パキスタン、北朝鮮ですが、当時はミャンマーの民主化もありミャンマーは西側に変わりつつある状況でこの国への進出も日本は国家一丸となって当たるべきだと提案しました。経済的な理由だけではなく、もしもの時を考えると、中国側の戦力を少しでも減らしておくに越した事は無いからです。ですので私の考えではミャンマーやパキスタンをさらに親日化し、ロシアとも仲良くなり、北方領土の返還と平和条約の締結をし、北朝鮮なども韓国主導で合併し、民主化を行い、北朝鮮内に米軍基地が出来ればそれに越した事は無いと考えています。もちろんこれらは有事の時に限らず、政治経済に影響を与えるものなのでとても重要です。私も勉強するまでは分からなかった事なのですが軍事と経済はとても結びつきが強いものなのです。次に伝えたのは日米同盟の強化を提案しました。当時はアメリカは尖閣諸島問題でまだ明確な立ち位置を示しておらず、日本は単独で対処せざるえなかったのですが、サンフランシスコ平和条約により、尖閣諸島がアメリカからの返還を明記されていたので、話の持って行きようではアメリカは日米同盟により一緒に守ってくれると読みました。それと日米同盟の強化は経済にも密接に関わってきます。為替相場などで話し合いをつけなければならなかったからです。まず日本の貿易を復活させるには円安にしなければならず、もちろんそれまで政府はその様にしようとしていましたが、通貨安競争で経済規模の小さい日本はいつも負けて居ました。つまり、アメリカに円安を容認してもらわなければならなかったのです。ですのでそういった事も含めての日米同盟の強化を提案しました。それともう一つ付け加えたのは「日本人が日本を見るのと他国が見るのでは違うとゆう事」どうゆうことかとゆうと第二次世界大戦で一番ひどい被害を被ったのは原発を2つ落とされた日本です。その日本が進んでアメリカと仲良くするとゆうことが世界平和を考えた時に「乗り越えられない壁は無い。」とゆう事を示すことにもなりそれは素晴らしい事だと私は安倍さんに伝えて頂くようお願いしました。続いて提案したのは大統領選挙で日本はオバマ氏を推すとゆう事でした。当時大統領選挙ではロムニー氏と戦っていたのですがこのロムニー氏は金融関係の出身者でこの人が付くともう一度リーマンショックの様な経済危機が起きる可能性が高かった事がオバマ氏を推す最大の理由でした。どうゆうことかとゆうと元々世界恐慌やリーマンショックは銀行など金融機関が株など証券関係を大量に買う事によって起きて居ます。株などが大暴落すると金融機関の資産は一気に減り、お金が回らなくなるからです。元々世界恐慌の後それでは具合が悪いので「グラススティーガル法」とゆう法律が出来ました。これは資本率に合わせて低い%で証券の保有率が決まった法律です。際限なくかえるのではなく例えば8%ぐらいまでしか買えないとしておけば、市場が大きく値崩れしても、損害は低いものとなり、「銀行が倒産するほどのものでは無い、」とゆう事になります。しかし1999年にこの「グラススティーガル法」が撤廃されリーマンショックは発生しました。

その後2010年7月21日オバマ大統領が金融規制改革法を発足これを「ボルカールール」と呼びもう一度「グラススティーガル法」の様な法律を作り、この様な事が起きないように取り組みましたが、このロムニー氏はまたその様な法律を撤廃する可能性が高かった。何故ならその方が証券関係が売れるからです。その様な危険が有ったのでアメリカのTV局で日本はオバマ大統領を望んでいると放送して欲しいと頼みました。少しでもオバマ氏を有利に出来ないものかと考えた結果です。それと日本があらかじめ

オバマ氏と仲良くする事で日米関係の強化につながると考えたからです。あと「ここには記載出来ない事」で、オバマ大統領に日本の事で動いて頂いた事があるのでその事の恩返しの意味合いも込められています。あちらのTVで報道番組で流してもらう件ですが、しっかりと流してもらい現地での報道がニュースZEROで取り上げられているのを確認して私は胸を撫でおろしました。

次に提案したのは大規模な金融緩和です。まず日銀の総裁で金融緩和を肯定的に考えて居る人になってもらいたいのと、総理には安倍晋三さんと麻生太郎さんを推しました。これには色々とあるのですが読売テレビの番組「何でもいって委員会」とゆう政治経済討論番組で二人が出演していた時、有識者の人達が推していたのと私もいいなと思ったからです。それともう一つは二人とも阪神淡路大震災の後フルーツフラワーパーク来て私と会った事が有る様な気がしたからです。もしそうなら元々復興に大変力をいれてくれるだろうとおもえる人なので今の総理にはぴったりだと考えました。ですので経済界含めてみんなで推して欲しいと頼みました。まだこの頃は私は安倍さんが昔アベノミクスを行っていた事を知らず、まさに経済において考え方が全く同じ人だったことは私にとってとても喜ばしい事でした。次に提案したことは、総理が経済界の人達を連れて、世界各国でトップセールスを行い仕事を取って来て頂く、とゆう案でした。日本はこれまで全くこの様な事をやって、いきなり行うとマスコミの方達に「総理が国会にいないとゆう事はどうゆう事なのだ!」と叩かれないように、マスコミ関係者にその様に書きたてないように頼みました。勿論これも役員の方達からのトップダウンでお願いしますと頼みました。つねづね思っていた事なのですが、マスコミと政治家がもっと仲良くやってくれれば政権も長続きし総理の名前も世界各国に覚えてもらい、利点も多いのでもう少し足の引っ張り合いは辞めるべきだと伝えました。(この首相のトップセールスは世界各国の中でも行ってる国は多く、国会に居続ける人の方がまれなのです。)更に注文を付けたのは「エネルギー関連に積極的に投資し、権益の確保。」でした。石油の掘削権や発電所などのインフラや出来れば電力網など、エネルギーを握る事は力だと言い、国を挙げて投資を進めて欲しい事を提案しました。その他にもメタンハイドレートの採掘や海底鉱床の採掘を国を挙げてやって欲しいと伝えました。他は新幹線やリニアモーターカーのアメリカへの輸出は総理から大統領宛てで親書を書くぐらいの事をしなければむつかしいので書くべきだと提案しました。それと発展途上国の港の開発をどんどん抑えて日本との貿易が有利になるように促しました。特にミャンマーの港や中国に先を越されようとしているインドネシアの港などこの辺は絶対に抑えて欲しいことを提案しました。他は売り方にも一つの実例を伝えました。「一応国会議員の方や経済界の人達で知っている人もいるとは思いますがイランやイラクなど(当時はまだアメリカとイランは険悪な中だった。)アメリカと仲が悪い国に物を売る時は、トルコを経由する事をお勧めします。どうゆう事かとゆうとエアコンのダイキンなどはトルコに工場を作って、そこから周辺国に輸出を行い成功していたからです。西欧との関係だけではなく、中東の国同士でもイスラム教内でシーア派とスンニ派との対立があるので親日派の国を利用し、上手く売って行くべきだと伝えました。少し話を戻しますが日米同盟の強化として駐日大使にケネディ家の方の就任を打診しました。理由は日本でも知名度が有り、マスコミが良く取り上げてくれるのでは?との考えからです。その他軍事の面で提案したことは、F35の購入です。当時はユーロファイターなど第四世代戦闘機にするか第五世代戦闘機にするか政府は迷っていたので私は第五世代戦闘機のF35を購入し日米同盟の強化を提案し、オバマ大統領を支援する事によってF35のエンジン生産を日本もさせてもらえるよう交渉する事を求めました。近年の戦闘機の開発や生産は一か国で行うのではなく複数の国で各部分を生産するようになっています。そうすることで各国の連帯関係を深めるのが目的なのですが、いままで日本はF35の生産ではエンジン生産には加えさせてもらえてなかったので私としてはぜひ加えさせてもらいたかった。これには幾つか狙いが有り、日本が独自に開発している第五世代戦闘機心神のエンジン製作にF35の技術を活かせるのでは?と考えたからです。もう一つは日本でも国産の旅客機の生産が始まりましたが、日本は長年アメリカから了解を得られず技術に差が有るのではと考えてからです。これはもう完全に私は素人なのでわからないことなのですがもしかするとF35のエンジンを生産する事によってその差を少しでも埋めれれるのでは?と考えたからです。その様な理由でこの様な策を考えました。その時に、恩着せがましいようですが大統領選の時日本がオバマ大統領を支持した事を伝えて欲しい事を伝え、それを理由にF35のエンジン制作を日本でやらして欲しいと交渉して頂き、その後2013年の新聞で、もともとエンジンに関しては日本は蚊帳の外だったのがエンジンの一部をIHIが担当することとなり日本は見事にその地位を手に入れたのでした。そうそう大事な事が抜けていました。それは中国依存の経済の脱却とアセアン東南アジアへのシフトチェンジです。

理由は二つあるのですが一つは中国経済の崩壊は当時から始まっており新しい市場の開拓が必要となるのと、もう一つは東南アジアの経済発展を手伝い少しでも貧困層を無くして中間層を増やしてあげる事でした。こうゆう言い方をすると「ビジネスを分かっているのか?」と言いたそうにする人達がいますが経済発展と貧困層の縮小は連動されておりますので心配はご無用です。どんどん発展させてあげればいいのです。日本のインフラ輸出により電気水道ガスが普及し道路や鉄道が整備され病院と学校ができれば近代化つまり先進国化は目の前です。これらがバランス良く進めば家電も普及します。その国が得意としている産業を伸ばしてあげればその国は中古車から新車を買う人が増える事でしょう。私は伝えました。「一つ一つの国を見るから

可能性を感じ無いんだ。東南アジア諸国を一つの国とすれば人口は約7億人。巨大市場だ。ほとんどの国はGDPを大きく伸ばしている。乗り遅れてはいけない。」と。その後2013年中頃には東南アジア市場に目がむけられ

東南アジア進出ブームが起きました。後、困り事で目に余る行為が有ました。それは皇族の雅子様の事を悪く書く記事が長年にわたり掲載されてる事でした。まるで公務をさぼっているような書き方をしている週刊誌があったのでこれも横のつながり、もしくは政府経由で是正して欲しい事を求めました。私から言わせると法律違反の記事なのでこのことはしっかりと対応して欲しいと告げました。それと同時にもし伝えれるなら昔お会いした阪神淡路大震災の被災者がこの様に対応してると雅子様にも伝えて欲しいと頼みました。もしかすると喜んでくれるのではと思ったからです。この件は2012年初頭の頃に言い始め、しつこく何度も提案し、2013年頃にはいっさいその様な記事は見られなくなりました。政治家の方達からの勧告(国会と言った方がいいかもしれません。)が有った後でした。

あと東北の事で頼んだことは野球の楽天をもっと強くしパリーグで優勝出来る様に、とゆう事。阪神淡路大震災の頃はオリックスが優勝し盛り上がり元気がでたもので、あの感覚を東北の人達にも味わって欲しいと思いました。

私が提案したのは3番4番を外国人で埋めて(4番5番でも可)先発を10勝以上出来る人を新たに作る事と、田中将大選手の投げ方でピンチになるまで8割の力でコントロール重視で投げ、ピンチの時は10割の全力投球で抑える。この方法でシーズン最後までバテることなく送れ、プレーオフにもしっかりと備える。とゆうプランでした。外国人助っ人の点はマスコミ関係者で良い選手が居たら楽天に教えてあげて欲しい事と、田中将大選手の投げ方については星野仙一監督に伝えてもらって欲しい事を頼みました。

TV局の番組についても実は提案した事が有り、2011の終わり頃か2012年の始め頃、報道ステーションを日曜日にも放送して欲しいと提案しました。本格的な報道番組が夕方に無く、かといってフジテレビの報道番組は朝が早かったので夕方か朝10時に放送して欲しいと頼みました。この時も「放送して欲しいんだけどダメかな~」とゆう具合でした。いつも頼む時、言い出すのに勇気がいるもので何だか大それた事を自分はしてるのでは?とゆう気持ちとの戦いでした。その反面熱くなったら言いたいことをいわずにはいられない方でこの様な事も言いました。

「実はTVでの放送の仕方で辞めて欲しい事が幾つかあるのですが一つは成功者を馬鹿みたいに持ち上げるのは辞めて欲しんです。やたらと何歳で年収いくらだとかそんなのを長年放送して世の中はどうなりましたか?一人の成功者のために本来は正社員の仕事をアルバイトや派遣にし、中間所得層を大きく減らしてしまった。昔の日本の割合は全体を10とすると富裕層1、中間所得層8、貧困層1の割合だった。それが現在では貧困率16,1%実に6人に一人が貧困層になってしまった。これはOECD加盟国30ヵ国の中で4番目に高い数値であり先進諸国のなかでは一番高い数値です。ですのでまるで他者の取り分まで吸い上げる経営方法を行っている会社や人物を人生の成功者として取り上げないでほしい、こんなシステムは間違っている。こんな社会を作ってしまったから日本は少子化になってしまったんだ」と私は言いました。「他にも辞めて欲しいものとしてやたらと不倫や浮気を題材にしたものは放送しないようにして欲しい」と頼みました。「ここ近年の調査では浮気する人の割合男20%、女20%となってしまい、この数字はEUと同じ数字でとても高い割合です。こうなってしまったのも不倫や浮気を仕方がないもののようなTVドラマや、バラエティに出演する芸能人が面白がったり笑い話にしものを延々と30年も放送してきたせいです。これ以上こういった物を放送しないでほしい。」と伝えました。こういったところも少子化の原因だと私は考えます。こう言った事が増えると明るい結婚生活がなかなか思い浮かばず結婚事態が良いものと思わなくなってしまいます。他にも不満は有りもともとTV局は企業からのスポンサー契約によりお金を頂いて番組を制作しています。この頃は不況とゆうこともあり、番組の制作の仕方にも疑問がありました。企業の方は不況のなか派遣切りなどを行い、

スポンサー料を捻出したりしています。そんな中で大切なお金を使用して番組が作られているとゆう事を出演者はどれだけ理解しているのだろうと思う事が時々あります。滅多に見かけませんが適当にやっている者や集中力を切らしていたりすると正直腹がたちます。そういった人達は年配の方が多く横柄に番組に取り組んでいるので直して欲しいと伝えました。後これは私の考えなのですがただの成功者は「特別視しない。」つまり評価しないとゆうこと。どうゆう事かとゆうと、その人がお金持ちにになってもそれがどうしたん?なにがすごいの?どこを尊敬すればいいの?とゆうことです。私が尊敬する人はその成功したお金で人助けをしている人です。社会福祉や災害被災者への手厚い支援を多大に行っている人はとてもリスペクトしています。つまりそうゆう事なのです。これが最初に言った、成功者をやたらと持ち上げて放送するのは辞めて欲しい理由です。なぜ我がのために従業員の給料まで削っている者などが、何千万円もする外車を乗り回したりする者が、何の意味が有るのか自家用ヘリコプター乗り回す者などこういった者達をまるで英雄の様に「すげえ、すげえ!」と言っている芸能人を見ると、本当にTVが嫌いになります。総じてこういった人達はやたらと夢を語ります。とても下らないただ漠然とお金持ちつまり成功者になりたかったと。その先に有るそのお金を使ってこうゆう人を助けたいとかが無い。あるのはだいたい豪邸と何台もの高級車と高級なワイン。そして芸能人のコメントは「俺らもこうならなあかんよな~」こんなのをゴールデンタイムにこれでもか?とゆうぐらいに流し、そしてこう日本はなりました。もう少し付け加えておくと、私の考えでは総理大臣よりも年収が上回るのはどうかと思っています。これは極端な例ですが仮に年収135億円の人がいたとしましょう。この人が総理大臣よりもでしゃばるのはよくないので年収5千万円でいいと言ったとしましょう。そうすると残り134億5千万円で年収5百万円の人を2690人雇用できます。この様に、多くの所得を得て居る人がまともになってくれれば中間所得層はかなり回復します。現実的には難しい話ですが、基本的な私の考え方はこの様な形です。この様な事も伝え、消費税10%以降は所得税で富裕層に高額な所得税をかけるべきだといいました。ただこの問題は財産を海外に持ち逃げする人が出てきてしまうので、あらかじめ持ち逃げ出来ないように、移転できないように法整備する必要があると伝えました。少し話がそれましたが、先程の様な考え方により出来ればTV番組に意味を持たせて放送するべきだと思います。そんな中2012年中にも色々と番組について提案を致しました。見て居て気付いたのですがフジテレビの夜の報道番組ニュースジャパンのスタジオがとても暗くなぜフジだけこんなに暗~い路線なのか疑問に思い改善した方が良いと提案しました。それに続き裁判に関する番組が無かったので「法廷を題材にした番組はどうでしょう?海外の事件などですごい物を放送してみては。」と提案しました。

その後「世界法廷ミステリー」とゆう番組が出来ました。

基本的に意義の有る番組が私の前提なので、TBSさんには「海外の人と結婚した人をその国の文化や生活を取材して放送して欲しい。」と提案しました。これはその後「世界の日本人妻は見た。」として放送されました。なぜ頼んだかとゆうと、新聞やTVで海外の人と結婚しその国の文化をしらずとても苦労したりしているのを時々見かけたからです。ならば結婚する前から知りそれから結婚を決めれるようにしよう。と思ったからです。後真面目な話ばかりではどうかとも思ったので、ドッキリの番組を作ってみてはどうでしょう?と言いました。どこもやってなかったのと、アイデア次第では面白く作れるので提案しました。これは後に「ニンゲン観察バラエティ モニタリング」となったようです。後芸能人の人達に対する不満などもあったので

「日テレさんで視聴者から直接文句言われな分からん奴らが居る。電話でもいいから直接叱られたらええねん。」と言い、想像してみるとなかなか面白いのでは?と思い始め「ダメかな~たまに放送するぐらいでええねんけどな~」とぼやいた所「耳が痛いテレビ」が出来ました。これらは2012年初頭位に提案しました。これらもまさか採用されるとは思ってもみなかったのですが全て採用して頂き驚きました。こう言った経緯からまた2012年終わり頃に又色々と提案することとなりました。

この頃は政治経済の事で多くの提案がされていたのですが

他国の事が知りたくてこの様な事を提案してみました。

「世界の村で発見!こんなところに日本人」とゆうテレビ朝日で放送されている番組でアフリカを取材してきて欲しいと言いました。司会者が千原ジュニアさんでしたので

行く人は千原せいじさんを推薦しました。実は関西の報道番組でニュースTenとゆう番組が当時読売テレビであったんですがその中で、せいじさんがとても面白いロケを海外にしに行っていたのでぴったりだと私は思いました。当時は深夜放送だったのですがこれも番組が良かったのでゴールデンタイムに変えてもらうように提案しました。

それと同時にテレビ東京放送の「ありえへん∞世界」で旧ソ連地域つまり東ヨーロッパを取材して欲しいと言いました。その中で特にチェルノブイリ原発を詳しく取材してほしかったので政府から取材の根回しをして欲しい事も頼みました。理由はもちろん福島の原発での対処でなにか有効な事が分かったり思い浮かんだりするかもしれなかったので内部もできるだけ映してほしいと言いました。そこで番組に論客として物知りな宮崎哲弥さんを起用して欲しい事を提案しました。少し話がそれますが私が好きな人で、他にも長谷川幸洋さんや野村修也さん、青山繁晴さんや古館伊知郎さんや村尾信尚さんなどをリスペクトしています。こういった人達をもっと起用すればいいのにな~などと多々思っていたので宮崎哲弥さんを提案しました。とにもかくにも現在のアフリカと旧ソ連地域の国の情報がほしかったので(総理にトップセールス外交をして頂くためになにかヒントになるのでは?と考えていたからです。)その様な事を提案しました。ひとしきり頼んだところで

この様な事も提案しました。「実は競馬が好きなのですが2013年もオルフェーブルが凱旋門賞に挑戦して欲しい。凱旋門賞とは世界中の代表馬が集まり芝生のコースの世界ナンバーワンを決める大会です。現在まで日本の馬は最高2着までで2012年はオルフェーブルが挑戦し首の差で2着でした。もう一度チャレンジすれば取れる可能性はかなり高いと感じたのとお金をかけなくてもスポーツとしてとても熱くなるレースなのでもし挑戦する事になったらすぽると枠で歴史的瞬間を放送して欲しい事を伝えました。

それともし世界的に大きな大会ブリーダーズカップやドバイの大会などで有力な日本の馬が挑戦する時も放送して欲しいと提案しました。後TBSのドラフト特番「お母さんありがとう夢を追う親子」でもしドラフト候補で社会的ハンディを抱えてる人がいたら取り上げて欲しい事を頼みました。例えば身内に身体障害を持ちその人のためににも頑張っている者や親の借金返済のためにも頑張っている人など自分以外の人を想って這い上がろうとしているが輝くべきだと伝えました。その素晴らしい姿勢はきっと多くの人の心に届き感動を与えてくれると考えたからです。またその選手が自分たちの応援しているチーム以外に行っても応援したくなるそんな番組を作って欲しいしそれがプロ野球人気に繋がってくると提案しました。

さらにTBSさんには日本に来ている外国人の人達で

故郷に帰る人達の手助けをしその様子を密着する番組はどうでしょう?と提案しました。訳アリの人達の密着から感動する番組が作れるのでは?と考えたからです。(後にホムカミとして放送されました。)それとこれぐらいのころから密かに「日本ではこんな番組を作っています。」と海外で放送し、その密着した人の国を少しでも親日化しようと考え始めました。やはり仲の良い国が多いに越した事は無いのと、日本に来たくなる何かがあればと思っていたからです。ここまで多くの事を高島彩さんに頼んできたので何かしてあげなければ割に合わないだろうなと思い、太陽光発電システムのCMに高島彩を起用して欲しいと伝えました。当時は特に関西ですが夏場の電力が危ないと言われていたので早くメガソーラーなどを普及しなくてはならなかったので、これは一石二鳥だと思い提案しました。ここで有る事に気付いたのですがそう言えば阪神淡路大震災の頃働きに来てくれた人達に何か恩返しできないか?と考え、お節介ながらも色々とTV局側に頼み事をしました。山口智子にはビールのCMを、千堂あきほさんにはたまにクイズ番組に呼んであげて欲しい事を、西尾由佳理さんの起用や小林麻耶さんにも法律に関する仕事やNHKでの語学の番組などの起用、本当に会っていたかは記憶が定かではないが大江麻理子さんをWBS(ワールドビジネスサテライト)に起用、平井理央にもCMを、(平井理央は姉妹で東日本大震災時東北の支援に行っていたようです。)武内絵美さんには報道ステーションリポーターと新人の育成と夏休みなどの長期休養時のキャスター代わりを務めて欲しい事を提案しました。これには理由があり、どうもTV業界では女性アナウンサーが使い捨ての様に扱われているので、そういったところの改善につながればとも思い提案させていただきました。例えばリポーターなどはキャスターとしての経験が活かせるのと、やっていただいて感じた事は言葉が綺麗で発音も良く、他のリポーターの人達とは一線を画す内容で大成功だと私は思いました。こう言った事を他のTV局の番組でも取り入れて頂ければ女性アナウンサーの肩たたきも大分と減るのではないでしょうか。政府も女性の活用を掲げていますのでぜひ取り入れて頂けるよう各局よろしくお願い致します。

順番がバラバラなのですが一番最初に頼んだのは絢香の事でした。同じ事務所の水嶋ヒロさんと結婚をしたのですがその事務所から追い出されるような形で独立をし、少し劣勢に立たされている感があったので人気を回復すべく2曲ほどタイアップをつけて欲しい事とTVにどんどん出演させてあげて欲しいことを依頼しました。その時の私の捉え方ですが芸能界でよくある、勝手に結婚したことに対して事務所を追い出し干すとゆう事をしてるように見えたので私は激怒していました。「人を商品として扱いお金欲しさに結婚を遅らせたりさせなかったりするその事務所の経営者は場合によっては刑法第223条(強要)の罪にあたるので告訴するぞ!こんな人の使い方をするから社会が晩婚化し少子化になっている。芸能界全体でその辺の改善を徹底し早く結婚させてあげて欲しい。」事を告げました。これに関してもお金持ちを持ち上げる番組や不倫ドラマなを制作ししないで欲しい番組と併せて何度も提案しました。他にもこの様な事も提案しました。もっと芸能界全体で海外に進出して欲しいと。とかく日本は資源が無いのでありとあらゆる産業が成長しなければ、これから先は乗り切れません。ですので女優や俳優や芸人や歌手の方達ももっと海外進出し外貨を稼いでほしい告げました。そこで私は一つに提案をしました。芦田愛菜ちゃんをハリウッドデビューさせてあげれないものでしょうか?と。この頃の私は何がどれぐらい話が通る物なのか手探りでした。ただ日本とハリウッドのパイプはあるはずなので出来ない事は無いのでは?と考えました。もちろんこれは本人がやりたい事とご両親が賛成であればと付け加えました。キンキキッズの堂本光一くんが働きに来てくれたも覚えて居たので彼らには深夜番組でもなんでもいいので番組を一つ与えて欲しい事を依頼しました。後あったかどうかかなり記憶が希薄だったのですがもし働きに来てくれたのなら何もしなかったら悪いなと思い米倉涼子さんの事も海外で活躍できるようにと頼みました。

藤原紀香さんは何度も働きに来てくれたし被災地の事を良く心配し国際的な支援も行っていたのでNHKドラマで震災と関わりの有る物を作って起用して欲しいと提案しました。2012年始めの頃私は羽生結弦とゆうフィギュアスケートの選手の事を知りました。彼は自信も被災したこともあり被災地に寄り添うように被災地のためにメダルを取ると言ってました。まだその頃彼は17歳位で今ほど有名では無く当時の実力からすると荷が勝っている印象でした。ですが被災地の事を想っての発言だったので、元阪神淡路大震災の被災者の私としてはなんだかとてもその気持ちが嬉しく、応援したくなったのと、後その荷を軽くしてあげようと伝言を頼みました。「羽生結弦選手に伝えて欲しいのですが元阪神淡路大震災の被災者が、頑張って全力を出し切るだけでいい。それだけで伝わるよ。グランプリや世界選手権でメダルが取れなくてもなにも気に病む事は無いよ。」その後伝わったのか彼は口癖のようにインタビューで「全力を出し切れるように頑張ります。」と言うようになりました。私は彼が活躍するにはまだ早いのでは?と思っていたのですが嬉しい事にその予想を裏切り2012年グランプリシリーズでショートプログラム歴代最高得点をたたき出しグランプリでも2位とゆう好成績を収めました。演技が終わった後の動けなくなるほど消耗した汗だくの彼を見た時にこれが彼の全力かと頭の下がる思いでした。その姿がいかにそれまで努力してきたかを雄弁に物語っており私はとても感動し素晴らし瞬間に目を潤ませました。今ではとても会いたい人物の一人です。

フィギュアスケートと言えば私としては安藤美姫なのですが2012年10月11日にこの様な記事を見かけました。安藤「意欲あいまいに」来季限り引退意向との記事でした。まだこの時はお腹に子供がいるとは知らなかったので私は2年後にオリンピックがあるのになにを勿体無い事をと思い美姫に伝言を頼みました。「スポーツ選手は限られた時間の中でしかできない。まだできるのに辞めるのは勿体ない。一位を取れるかどうかぎりぎりの所での戦いなど一般人の生活になると味わう事など出来ない。それに私は美姫がオリンピックで金メダルを取るのを楽しみにしている。」と。私からからすると女子で唯一四回転と三回転三回転三回転のコンビネーションを決めた事のある選手なので金メダルが狙えるのに!とゆう気持ちでしたがその時はの美姫はマスコミ関係者に見つから無い様に引退する事できっと頭の中はいっぱいだったでしょう。今思うとよけいなことを言ったな~と思います。

そうそうもう一度政治経済の話に戻りますが新幹線やリニアモーターカーの輸出ですがアメリカなどに売り込む時総理からの親書を携えるべきだと提案しました。アメリカは自動車業界と石油業界の反発が強くそれぐらいしないと大統領を味方につけれないと考えたからです。

それと日立製作所と三菱重工の火力発電所の統合も提案しました。当時は電力不足がささやかれ高効率の火力発電が求められておりその両社が提携する、との記事も見た時どうせなら統合し日本で作れる最高の物を作り海外に打って出るべきだと考えたからです。それと同時に官民で油田の権益を取りに行って欲しいと提案しました。今まで日本の企業が油田の権益を持っている事は無く、私からすると不思議でした。これは政官民の連携が出来てないからだと思い、「エネルギーを握るのは力を持つと同義なので政官民一丸となって取りに行くべきだ。」と主張しました。安全保障や中国包囲網にも関わって来るのですが武器輸出緩和も提案しました。新聞を見ると例えばトルコでの戦車の開発に日本と韓国が関わっており、こうゆうことなら日本産の武器も輸出してもいいのでは?と思いました。こういった共同開発は国と国の結びつきを高め、近年では国際的に当たり前のように行われています。例えばユーロファイターならEUの国々で、F35なら日欧米で生産しています。こうなってくると武器の輸出制限はあまり意味が無くむしろ中国に売られるぐらいなら日本が友好国に販売してお互いの安全保障を高めるべきだと主張しました。もう一つ記載しておきたい件があるのですが、かといいますと2012年4月23日に発生した京都府亀岡市登校中児童ら交通事故死事件です。登校中の児童と引率の保護者の列に軽自動車が突っ込み計10人がはねられ3人が死亡し7人が重軽傷を負いました。原因は遊び疲れと睡眠不足による居眠り運転であり運転をしていた少年は無免許運転でした。そこで自動車運転過失致死傷罪より重い刑である危険運転致死傷罪で起訴しようとしたが、京都地検は少年が無免許運転を繰り返しており、「運転技術はある」と判断し自動車運転過失致死傷罪で起訴を行いました。無免許運転にも関わらず、危険運転致死傷罪の構成要因である「未熟な運転技能」を今回の事故が満たしてないと判断した事に対して私は深い憤りをおぼえこれでは行政は被害者の味方をしているようにしか見えずご遺族の方がかわいそうでいたたまれないと思いました。そこでいつものようにこのような提案をしました。「今回の事でも分かるように官僚はマニュアルどうりにしか動かない。だったら法に無免許運転は危険運転致死傷罪にあたると追加で記載するか新しい法律を国会で作ってて欲しい。そして決議の場にご遺族の方達を呼んであげて欲しい。官はあのような事しか出来なかったがあなた達は決してほったらかしにされているんじゃない。政治家は全員味方だと満場一致でその法律に賛成し起立してあげてください。」と。私としてもこれでご遺族の方達の悲しみが晴れるわけでは無いが、多くの人があなた達の苦しみを和らげようとしている事を知ってほしかったからです。こうやって関わったのはとある理由があるのですがそれが1999年に起きた山口県光市母子殺害事件です。事件名のとおりまだ若い夫婦の奥さんと子供が殺されたました。旦那さんは当然死刑を求刑したのです。山口地裁の判決は無期懲役でした。その裁判の後雪が降る中遺影を持ち肩を丸めて号泣しながらゆっくりと歩く背中が、ニュースで流れているのを見た時私はなぜこの人の力になってあげなかったのだろう。何の力にもなってあげられなかったかもしれません、ですが励ます位の事は出来たはずだと思いました。そのニュースは続きがありその後

上告し2012年3月最高裁判所において死刑が確定しました。その時の旦那さんはとてもはきはきしゃべっておられて見違えるようにとても精悍でした。その姿を見た時この方の戦いはやっと終わったんだと私はほっとしたと同時に10年以上も頑張ってきたその精神に感服しました。

こういった事から亀岡市の交通事故の件は放っておけなかったので差し出がましいとは思いつつも自分の感情の思うままに行動しました。

まだ記載することはあったかもしれませんが2012年に私が行った提案や依頼は以上です。2013年に入り提案や依頼した事がどんどん達成されて行く事に、私は一喜一憂してました。そんな中2月か3月頃新聞でロシアのメドベージェフ首相が北方領土に来られここはロシアの物だと誇示していました。ずっと日本が抱える北方領土です。ロシアとの関係は中国包囲網にも関わって来るし、やはり北方領土は返還して欲しいしその先に有る平和条約の締結が重要でしたので私はこの様な事を提案しました。「ロシアから天然ガスを買い生産業の発展を条件に北方領土の返還を求める」とゆうものでした。もともとプーチン大統領は親日派ですので突破口は有ると考えてました。そこで事態を整理するとその当時日本は震災の影響で発電に必要なガスを大量に買い込んでおり、安く販売してくれる国を探していました。ロシアはEU以外、アジアにも販路を広げようとしており、様々な産業の生産性を上げる方法は無いかと考えて居ました。これらのことから先程の提案に至りました。ただメドベージェフ首相が一つの障壁となっていたのでこの様な事ダメもと提案しました。「水面下で極東からメドベージェフ首相を外してもらうようプーチン大統領に相談することはできないでしょうか?私が知る限りではプーチン大統領とのパイプを持っているのは森元首相ぐらいですので協力を仰ぎ一度チャレンジしてみて下さい。」と。すると数週間後新聞にはこの様な記事が載りました。3月か4月ごろです。プーチン大統領「メドベージェフ首相が日本との関係に壁になっているのならこちらに召還する。」と。私は「これはチャンスだ。返還と平和条約の締結さらに

安くで天然ガスを手に入れる一石三鳥だ。」と目を輝かせました。すぐさま私はロシアで首脳会談を行いその時に経済界の人達を引き連れ日本の本気度を示すべきだと提案しました。本当にいつも思うのですが言ってみないと分からないな~と。その後6月に首脳会談はロシアで行われかなりの手応えがあり何島返還なのか考える時期でした。ところがその後ウクライナともめ始め事態は話し合いで解決する兆しは無く軍事衝突しました。その時の構図がEU、アメリカ対ロシアとゆう最悪の事態になり(当然日本は西側諸国の立場なので一緒に制裁をロシアに対して行うとの立場)日本とロシアの関係は良くないものとなってしまいました。その後事態は停滞し、2015年10月頃ようやくウクライナ問題は落ち着きプーチン大統領と安倍首相が顔を合わせる事が有り年内会談が組まれようとしていましたが今度はシリア問題でロシアが介入しイスラム国だけに留まらずアメリカが支援している反体制派まで攻撃とゆう事態になりまたもロシアとの交渉は頓挫することとなってしまいました。が、日本とロシア事態が仲が悪くなって居るわけでは無いのと、反体制派とアサド政権との停戦の可能性が全くないわけでは無いのでまだまだ腰を据えてじっくり対応していけば安倍政権の間に返還と平和条約の締結は十分可能だと思いますのでこのまま頑張っていただきたいところです。2013年3月頃新聞でこの様な事が書かれていました。

日本が中国包囲網を形成しようとしている時インドに日本がアプローチをかけるとインドのシン首相は「アメリカと日本の思惑には乗らない。」と答えて居ました。それまでインドを親日国だと思っていた私は慌てました。なぜならインドは中国包囲網に欠かせない存在だったからです。新聞などで発表されている2050年の各国のGDPではインドが中国を追い越し1位、2位中国、3位アメリカとなって居るからです。つまり長い目で見るとインドは強国となり中国を抑え込む力をつけていると推測しています。それと中国包囲網は何も軍事だけではなく、経済にも多くの影響を与えるものです。例えばインドの新幹線の導入でも日本製のものにするか、フランス製にするのか、中国製にするのか競っていました。こう言った競争に勝つにも中国包囲網は有効なのです。ですのでこのままでは好ましくないので私はこの様な事を打診しました。「宮内庁を通して天皇陛下または皇太子殿下が訪印して頂く事はできないでしょうか?お体の具合にもよるところは重々承知してますので陛下が無理なら殿下にいってもらい日印の友好関係を高めて頂きたいのです。政治利用では無くあくまでも日印の友好関係の向上のために宜しくお願いします。」と。そのかい有ってか2013年11月下旬、天皇皇后両陛下が訪印して頂き(同年7月インド側から訪印要請がありましたのでそのように水面下で動いて頂いたようです。国交樹立60周年だったので話は持って行きやすかったかもしれません。陛下が訪印するのは50年ぶりです。)

その後の流れは変わったと言えるでしょう。もちろん翌年親日派で安倍さんの盟友であるモディ首相にかわったこともあり、新幹線の受注や日印の2プラス2もうまくいき私は安堵していたことはゆうまでも有りません。

この位の頃だったでしょうか?この様な事を提案しました。復興住宅の完了目標を2020年をめどに行うべきだとの提案です。この頃まだ政府は明確に期限を切っておらず、先行きが不透明でした。これを期限をきることによって工事の段取りが決まるのと後、2020年にはオリンピックがあるので被災者の方達が気持ちよくオリンピックを見れるようにとの思いからその様な提案をしました。それらを伝えてもらいその後総理から2020年をめどに復興住宅の完成を発表して頂きました。阪神淡路大震災の時よりも被害が大きいのと9年しか時間は無いのでハードルは高いのですが最善を尽くして頂きたいなと思う次第です。2013年4月頃「テレビ社会実験あすなろラボ」とゆうMC加藤浩次 高島彩の番組を見て居たのですがどうやら

見切り発車で番組を作ったようでスタッフさんも加藤浩次さん、高島彩さん全員「なにを放送すればいいのか分からない。」とゆような状況に見受けられました。そこでいつもお世話になっている高島彩さんのためにも新しい番組を考え提案しました。「一般人から生徒を公募し文化人の人が講師をする番組はどうでしょう?その中で起用して欲しい人がいるんですが、元経済産業省の岸博幸さんとゆう人に授業をやってもらい、なおかつ制度を利用して生徒のなかで行政の手当てなどを受け取れる人は受け取ってもらって欲しいのと、もう一つの授業は東大生を集めてもらい東大卒の方に授業をして次の通り伝えて欲しい。」と(ここでは割愛しますが様々な理由を熱っぽく語りました。)その後番組は「全力教室」と名前を変え岸博幸さんは元ヤンキーの人達に授業を行い大成功を収めもう一つの案は茂木健一郎先生が行って下さいました。個人的に人の好さそうな岸さんを応援していたので他局含めて他の番組でも活躍出来る様にして欲しいと頼みました。茂木さんの方はもう活躍されていたのでなにかやりたいことがあったら協力してあげて欲しいと頼みました。この頃青山繁晴さんに私は大変申し訳ない事をしてしまいました。以前青山繁晴さんを見た時に深い見識と取材力に、この人はもっと全国放送放送の番組で活躍するべき人だと私は思いました。当時関西で放送されていた「たかじんのNOマネー」とゆう番組にも青山さんは出演されていたのですが、真面目な話題もどこか茶化す傾向にある番組だったので私は良かれと思いこの様な事を打診しました。青山繁晴さんほどの人なら全国放送の報道番組に出るべきだと言い「ひるおび」か「ワイド!スクランブル」に出演させてもらえるようお願いしました。その時に「あのような茶化す番組には出ない方がいいと思う。」とゆう手前勝手な事を言ってしまい、青山さんは「たかじんのNOマネー」を降板させてしまいました。その時の青山さんのコメントを見ると「巨大な力によって私の大好きな番組を降板させられることとなってしまいました。」とおっしゃていました。私は青山さんに大変怖い思いをさせてしまいました。すぐに謝罪しなければと思ったのですが連絡先が分からなかったので、いつものように伝えて頂くよう高島彩さんや役員の方達に協力して頂き番組に復帰出来る様にして欲しい事とそのほかの番組での起用と、私が無礼なことをしてしまった事の謝罪を伝えて欲しいと頼みました。本来は直接謝罪するべきなのですが連絡先がわからないのでこの場をお借りして謝罪致します。

「青山繁晴さんへ番組降板の件、大変怖い想いをさせてしまい本当に申し訳ありませんでした。もしどこかでお会いすることがあればまた改めまして謝罪致しますのでその時は許して頂きますようよろしくお願致します。」

さてお見苦しい所申し訳ありませんでした。また本題に戻りたいと思います。この頃私はダルビッシュ有選手にこの様な伝言も頼みました。「髪の毛を染めないで日本人として活躍して欲しい。」と。なぜかとゆうと記憶違いかもしれませんが1998年頃神戸市立ホテルフルーツフラワーパークで会った事が有る様な気がしたからです。当時様々な将来活躍するであろう人が来ていたのですがその中にイラン人とのハーフの子がいたような気がします。当時私はよくバーベキューコーナーで勤務していたのですがそこのBテラスで話をしたような気がします。どのような話だったかは覚えて無かったのですが、その後神戸の北野にダルビッシュ記念館が出来て私は思い出しました。そういえば「メジャーに行く位活躍したんやったら神戸に記念館を立てて観光客を誘致して。」その頃は復興が何年かかるか分からなかったのでそんなことを言って居たような気がします。もしそうだったら素晴らしい話だと私は感動していました。それとこの人も以前会った事が有るかもしれません。小泉進次郎議員です。この人も1998年頃フルーツフラワーパークに小泉純一郎さんに連れられて兄の孝太郎さんと来ていたような気がします。名前は忘れてしまったのですが当時子連れで来ていた議員さんいたのでそうじゃないかと思うのですが、その事に気づいてからは注視するようになり彼の人間性に惚れ込み将来彼を総理にしたいと私は思いました。そこでこの様な事を提案しました。「もしかすると小泉進次郎議員も子供の頃フルーツフラワーパークにきていたかもしれない。私は思うのですがこの国で総理になる人間は、震災の時にどうしなければなら無いかが理解してなければならないと思います。彼は子供の頃から学ぼうとしていた。ですので復興関係の立場で仕事をさせてあげて欲しのでよろしくお願いします。それと仮に子供の頃フルーツフラワーパークに来てなかったとしても彼は将来総理たる器だと思います。今から様々な経験をさせて挙げたいのですがその中でも特別に外遊を経験させて挙げて下さい。現在の私が考えた方法で、総理のトップセールス外交がかなり良い結果がでているので継続してやって頂きたいのですがこれを将来もっとやりやすいように、小泉進次郎議員と各国のパイプ作りを今から行っておいてください。」とゆう提案でした。そのかいあってか、その後青年団の長として台湾の馬総統と会談させてもらえましたし、復興政務官として活躍してもらえました。勉強熱心な人なので色々掴めたものはあるのではないでしょうか。そう言えばこの位の頃、安藤美姫ちゃんが出産とゆうニュースを見てああそれでやめようとしていたのかと合点がいき、余計な事をゆってしまったな~と反省する次第でした。

このくらいの時期だったでしょうか?、元関西テレビのアナウンサーで山本浩之さん通称ヤマヒロさんとゆう方がいらっしゃるのですが昨年(2012年)独立を考えて居ると番組でおっしゃていました。それを見た私は結構ヤマヒロさんの事が好きだったので(ヤマヒロさんの良い所は少しユニークな所と心ある報道をされる所です。)独立を促すように提案しました。ところがどっこい独立したは良いが仕事があまり無いと嘆かれていました。そこでどうにかしてあげようと思いいつものようにこの様な事を提案しました。「関西で放送されているTBS系列の毎日放送のちちんぷいぷいとゆう番組の放送枠を拡大し14時から放送していただけないでしょうか?内容はニュースを中心に掘り下げて放送して頂きたいのとヤマヒロさんも起用して頂きたのですがよろしくお願い致します。」とヤマヒロさんとの経緯を話ました。この時に、もともとちちんぷいぷいで司会をやられている西靖(にし やすし)アナウンサーと2人体制で行い報道の部分で厚みを出して欲しいと依頼しました。西靖さんも私の好きなアナウンサーさんなのですが誠実な方なので誰にでも好感がもてるのではないでしょうか?。ちちんぷいぷいの後に平日18時より関西で放送されている「ヴォイス」とゆう報道番組があるのですがそちらでも西さんを起用して下さいとお願いしました。

こちらからではそういったことが可能なのかわかりませんでしたので、西さんに聞いて欲しいとも言ったのですがそのことをちちんぷいぷいの番組内で聞いて頂け、たまたまその瞬間を見る事が出来ました。その後の内容ですが

やはり知識が堪能な方が多い方が番組としても面白いのでこの点は成功だし、今後全国放送の番組でやっても面白いなと思いました。後池上彰さんにもたまに関西に来て番組を行って欲しいと提案していたのですがそれもやっていただけています。大阪TVでもお願いしますと提案していました。なぜこのような事を行って頂いていたかとゆうと、関西発信での報道番組を増やせないかとゆう考えが有りました。都構想なども有り、もっと全国の人に関西の動きを知ってもらいたかったり、関西ならではの「言いたいことを言える番組。」こういったものを全国に発信し、もう少し東京の番組も政治経済について言いたいことが言える風潮を作りたいと考えたからです。今後もその様に出来ないか提案して行こうと思います。この頃他ににも色々と提案しました。まずこれまでのTVでの放送の仕方を変え、垣根を無くす事。どうゆう事かとゆうと、バラエティー番組に文化人が出て居なかったり、

反対に政治経済番組に芸人さんやタレントさんが出て居なかったりしていましたが、それらが一般人に影響を与え、バラエティーしか見ない人、報道しか見ない人とを分けて居る原因の一つだと考えました。私は30歳位から政治経済に興味をもったのですが、これが知り始めるととても面白く興味深いものでした。ですのでこの面白さや知識も今まで興味が無かった人に伝わるようにこの様な事を提案しました。先程までの内容を伝え「芸人さんなども政治経済に関わる様にするべきだとおもうのですが、政治経済討論番組を作って欲しいのですが、時間は夜22時以降、でどうでしょう?。朝まで生テレビを見て居ると深夜番組だから言いたいことを言えてるようにも見えるのでその様な時間を指定しました。司会は東野幸治さん、サブは元報道番組をしていた秋元優里さんか若手を育てるのなら三田友梨佳さん、レギュラーコメンテーターは松本人志さん、これに3、4人ほどゲストで呼んで頂いて、もし可能ならば安藤優子さんも時々加わって頂きたいのと、法律の質問が出来るように弁護士さんを一人配備して下さい。」と頼みました。これはフジテレビで行って欲しいと提案し、その後「ワイドナショー」との名で番組が出来上がりました。それと同時に朝日放送でも「何でも言って委員会。」のような番組でなおかつゲストに政治経済を勉強して頂ける番組を提案しました。メンバーは司会、東野幸治さん、朝日放送のアナウンサーさん(言いたい事を言える様に関西で行って欲しかったので)専門家や評論家の方8人、その内宮崎哲弥と弁護士さんをレギュラーで常備し韓国のことなら朴一(パクイル)さん中国のことなら石平(セキヘイ)さん北朝鮮なら辺真一(ピョンジンイル)さんなどその他専門家や評論家で構成して頂き教えてもらうゲストの中にはジャニーズの者やスポーツ選手、芸能人を呼んで出来るだけ質問させてあげて欲しいと提案しました。その後出来上がったのが関西などで放送の番組「教えて!ニュースライブ正義のミカタ」です。両番組で東野幸治さんを推したのは芸人さんもニュースに目を通してもらいたかったのと、

報道を知る事によって、教養が上がります。例えばコントや漫才でもこんな事をやっていたらいじめにつながるかもしれないからこうゆう言い回しにしようとか、子供が簡単に人を叩くようになってしまうから、突っ込みは言葉だけにしようとかそういったところから考えて欲しかったからです。どうせやるなら汚職を行った政治家や経営者を叩く時事ネタコントや漫才をやればいい、と思うからです。もちろん教養が上がれば笑いの幅も広がり言動が変わります。下品な言動を見ると面白いとはなかなか思わないし小学生まで退化してるやないか!小学生でも言える事などプロがするなよ!と思ってしまいがっかりしてしまいます。食事をしてるときなどはその様な場面に出くわすとチャンネルを変えます。多分これは私だけが思っていることではないと思います。なんだかこうやって書くとまるで東野さんが悪いように聞こえますがそうではなくお笑い界全体をさして言って居ます。その中で東野さんを司会にすることにより芸能人の方達にも気軽に自分の意見を言えるように、報道関係が芸能人や一般の方にとって敷居の高いものでは無い様に出来るものとして期待して東野幸治さんを推しました。他にもTBSさんにはこの様な事を提案しました。一つは海外の寿司レストランで間違った寿司を提供しているのを、日本の寿司職人が本物を伝えに行ったり、その他間違って伝わっている日本の文化を正す番組を作って欲しいと頼みました。その後「ぶっこみジャパニーズ」とゆう番組が(年数回で放送)出来ました。私が想像していたのを大きく上回る面白く痛快な番組に仕上げて頂きました。日本でも指折りの職人さんが、身分を偽り脱サラをしたとしてその海外のまがい物の寿司を出しているレストランに弟子入りします。仕事が出来ないふりをしながら作り方を教わるのですが、教える先輩が間違った作り方を自信満々に身分を偽った超一流の職人さんに教える姿に見て居る方はフラストレーションが溜まるのですが、そのレストランに日本から超一流の寿司職人が来てイベントを行います。寿司ザムライとして覆面を被って現れるのですが中身は脱サラをしたとして身分を偽ってそのレストランに潜入し、下っ端をやらされて間違った寿司を教わっていた職人さんです。寿司ザムライとして素晴らしい腕をふるい、見事な包丁さばきで彩られた寿司は我々日本人が見て居ても感嘆のため息が漏れるほどの物。最後に覆面を取り正体を明かし、本物の寿司を伝授し完了。見て居てとてもスッキリし、なおかつそこまでの過程が面白い番組を作って頂きました。それともう一つ引退した後芸能人がどうなったか?をTVで放送して欲しいと頼みました。

およそですが「爆報フライデー」とゆう番組で行って頂いているようです。また、フジテレビさんにもこの様な事を提案しました。世界中のニュースで興味深い物をまとめて放送して欲しいのと、西尾由佳理さんをサブMCでと頼みました。この時東野幸治さんも推したような気がします。その後「世界ホットジャーナル」とゆう番組が出来たのですが残念ながら関西では放送されてなかったので内容は良く分かりません。テレビ東京さんにもある提案をしました。私の好きな番組で「YOUは何しに日本へ!」を見て居た時の事ですが、外国人の方で日本で結婚式を挙げたいとゆう人が何人かいました。そこでもし、また日本で結婚式を挙げたいとゆう外国の方がいたら、きっと良い画が撮れるからSP番組で挙げさせてあげて欲しい。出来ればサプライズで。と頼みました。その提案も受け入れられその後2014年頃だったでしょうか?放送されました。とても感動出来、またスタッフさんの優しさが大変伝わる良い番組となりました。それと思い出したのですが2012年にこの様な事「天才!志村どうぶつ園」に提案しました。捨てられ保健所行きになった犬を助けてあげて欲しいと。昨今のペットブームと同時に捨てられている動物は多く、TVでやる意義は大きいと私は考えました。そんな中、怯えきった犬を相手にベッキーさんはとても根気強く取り組んで頂きました。そこで本当に大変だったのでこのままでは申し訳ないと思い、TBSのドッキリ番組「モニタリング」を頼む時にMCはベッキーさんでと頼みました。現在では一般の方が犬の貰い手となって頂き感動の別れとなりました。

ベッキーさんご苦労様でした。他にはフジテレビさんの「世界言ってみたらホントはこんな所だった!?」でこの様な事を提案しました。発展途上国の現地の学校へ行き生徒と仲良くなり、SP番組で日本に招待してあげて欲しいと提案しました。日本に来て驚くや胸を打たれる事、将来自分の国を日本の様に発展させたいなど感じる事は多いと思い、きっと良い画が撮れると思い進めました。そして完成されたのが狩野英孝さんが扮する

狩八先生。彼が現地の学校へ行き楽しく授業をし、心を交わし、帰る頃には生徒が泣いてしまうとゆう温かい番組。そして月日は流れ今度はその生徒を日本に招待してあげ、日本の文化や技術やテクノロジーを目にするとゆう設定。見て居て反応が面白く子供なので可愛らしくもあった。

最後のお別れの時涙した人も多くいたのではないだろうか?残念ながら2015年12月現在は放送されなくなったのですが、また特番か何かでこの企画で放送できないか提案したいと思います。

当時20時放送だった「そうだったのか!池上彰の学べるニュース」を21時に変更し、ゲストをニュースに詳しい人に変更し番組も掘り下げたものにして生放送にしてみてはどうかと提案しました。その頃毎日新聞(いつも新聞を読んでいるとゆう意味)を読んでた私は少し内容が物足らなくなっていました。とゆうことは、毎日新聞を読んでる人も同じ感覚なのではないだろうか?と思ったからです。21時で生放送にしたのはもしなにか大きな事件などが有った時番組を報道ステーションと繋げ池上彰&古館伊知郎

とゆう、夢のコラボレーションが出来るのではないか?と考えたからです。この辺ははっきりと言わなかったのでただ単に番組が繋がるとゆうだけに留まりました。それともう一つのパターンも提案しており放送日を土曜に変更し学生から大人まで幅広く見て頂くような形はどうでしょうか?と提案しました。どちらの意見も採用して頂き最終的には土曜日隔週での放送で落ち着きました。月曜日の21時のパターンではゲスト出演で押切もえさんと平井理央さんを推させて頂きました。2人とも昔神戸市立ホテルフルーツフラワーパークに働きに来てくれたのでささやかな恩返しでの提案でした。(2人とも詳しかったので安心しました。)本人は知らないと思いますがその後押切もえさんには釜山(プサン)ファションウィークに行ってもらったり洋服店の現地出店を行って頂きました。これは韓流に攻め込まれていましたのでそのささやかな反撃です。やはりどの分野(芸能含む)でも貿易力で負けたくは無いので提案しました。詳しくは知らないのですが平井理央姉妹が東北で支援を行いに行って居たのが、ネットで見かけたのでさらに「ぐるナイゴチになります」でのレギュラー出演(この番組には西尾由佳理さんも推していたが最終的には平井理央さんが選ばれたもよう。両方だしてくれても良かったのに。)とスクエアエニックスのCM起用を頼みました。ほかにも松たか子さんの事も頼みました。松たか子さんも昔働きに来てくれたことが有り、ここでもささやかな恩返し。頼んだのは「ディズニー関係で吹き替えか何か」でした。するとその後「アナと雪の女王」主題歌「レット・イット・ゴー」と声優の仕事を用意して頂きました。松たか子さんも大変喜んでくれていたようなので私としても頼んで良かったな~と思いました。

2013年7月頃被災関係では福島の避難区域で放射線量が除染で低くなった地域で、その地域に戻るか離れるかで意見が分かれて居た。政府はまだこの当時被災関係は腫物を触るかの如くの扱いで、話が進展しなかった。私はその状況が合点がいかなかったのでこの様な事を提案しました。政府が決めかねているのなら9月放送の「朝まで生テレビ」で、復興関係の自民党の国会議員でそれなりの立場の人と有識者の人達を集め、いつもいる一般の人々を被災者だけに限定し会場に呼び、直接意見を聞いてあげその通りにしてあげれば自民党は叩かれはしない。それともう最初に言っておきますが出ていきたい人は出ていき、戻りたい人は戻らせてあげればいい。そうすれば誰からもうらまれないし法律道理に物事を考えるとそうするしかない。

もし裁判になれば損害賠償請求が出来るので後は東電が出ていく人にはその人なりの補償、留まる人にはその人なりの補償をつけてあげるしかないのでその辺は基準を作り、直ちに補償するべきだと伝えました。その後この件はその通りに行って頂け、他にも被災者の方達の陳情を聞く事が出来たので行って大変良かったです。私にとって東北の人達にしてあげれたことで2つ目の事案でした。このくらいの時期だったでしょうか?以前頼んでいた

F35のエンジン部分で一部日本の企業IHIが作る事が許されました。この件で私はこの様に主張しました。「ここまで持って行ったのは今までの私の提案の積み重ねなのでさらに聞いて欲しいことがあるのですが、この工場を出来るだけ東北地域に作って頂けないでしょうか?復興するにあたって仕事を回してあげたいと考えてますのでよろしくお願い致します。」と頼んでみました。一時は新聞に東北が候補として挙がっていたのですが最終的には東京か群馬に決まったようです。どうにかして東北の人達に仕事を回してあげたいのでこれにめげずにこれからも何か考えていこうかと思います。これぐらいのころ新聞でこの様な記事を見かけました。民間の団体で憲法9条でノーベル平和賞を取ろうと活動をしているとゆう物でした。これも皆さんの力を借りればノミネートすることはできるのではないか?と思い、なんとかノミネートさせてあげて欲しいと提案しました。

これを聞かれると意外に思われるかもしれませんが、これも私の望む世界の一つです。中国包囲網や集団的自衛権も私の望む所です。残念なことに2015年現在、集団的自衛権=戦争だと思っている若い人達がいるようですが

本質は全く違います。いかに日本に手を出させないようにするか?これが集団的自衛権の本質です。私の構想では(必ずしも安倍総理と考えが一致するものかはわかりませんがおよそですがほぼ同じだと思います。)多くの国と軍事同盟を結ぶ、とゆうものがあります。行う理由ですが中国の軍事脅威からの対応と日本の経済の発展のためです。

軍事費でみると日本はGDPの約1%約5兆円で中国は

GDPの2%以上、約15兆円です。2015年現在で海軍は互角、空軍はやや中国が優勢、今後日本がF35の100機購入と心神の実戦配備まで進みさてどうなるか?といったところです。ただしやはり予算が中国の方が圧倒的に多いので差を付けられていくのは目に見えて居ます。ですので日本が単独で防衛するのは大変厳しくアメリカの力が必要になります。最近ではシールズとゆう人達とタレントの石田純一さんが単独の自衛権があると叫んでますが、もし単独で中国から身を守ろうとすると、日本は少なくともGDPの4%以上を軍事費に投入しなければならず、その様な予算は日本にありません。それに費やすべきではないと私は考えます。それと単独自衛権で頑張って居る国はスイスなどがありますが全て徴兵制です。これは一国で防衛しようとすると他国の援軍がないので当たり前の原理なのです。永世中立とは戦争をしませんとは違います。何度もスイスは中立宣言の後攻め込まれています。いくら中立を唱えても攻め込まれるときはあるのでスイスの結論は徴兵制でした。スイスは40万の予備兵を抱えていざとゆうときに備えて居ます。私は徴兵制が導入されるのが嫌なので集団的自衛権が賛成です。ですがシールズの人達は集団的自衛権の導入は徴兵制を復活させると逆のデマを言いデマで物事をひっくり返そうとしていました。ですので私はシールズに少し怖さを感じて居ます。「朝まで生テレビ」でシールズの代表として若い男性が出て居ましたがこの様な事を言って居ました。「スイスの軍隊て他とは違わなくわないですか?。」つまり彼らの考え方を察するにスイスがどのように軍隊を運営しているかも知らずに、自分たちの思い込みで「こうだからこうなんだ!」と盲目的な考え方で勢いに任せて居る所が有り「聞く耳を持たず多くの人を巻き込み怖いな」と感じます。少し話がそれましたが私の構想ではインドやオーストラリアとも同盟を結びたいと考えて居ます。現在中国のGDPに追いつけそうなのはインドです。つまりインドなら中国に対して抑止力を持つ国になれるからです。現在のインドの戦力は中国と比べるとかなり見劣りしますが30年後には追い付いていると思いまし、その頃にはアメリカ、中国、インドの3か国がGDP1位~3位を競い合っている事でしょう。私は2050年の頃を睨んで中国包囲網を考えました。その頃の日本では中国には全く対抗できません。ですのでアメリカとインドの両方を味方につけてうまく立ち回りたいと考えました。ですので中国包囲網を最初に提案した段階で日本だけでなくアメリカや欧州、世界中からインドに投資を呼び込みインドの成長率を中国を上回るものになるように世界連携で持って行って欲しいと提案しました。そこで経済にも結びつきが出てきます。その頃から中国の経済が減速傾向にあったので、東南アジア諸国とインドのマーケットが重要になってきます。ですので私は東南アジア諸国とインドへのマーケットへとシフトチェンジするように促した訳です。とにもかくにもインドを頼れる味方にするとゆうことが重要で、インドが強くなればそれだけインド方面へ中国人民解放軍は戦力を割かねばなりません。つまり、日本の方へと割く戦力はインドが大きくなればなるほど低下する、これが狙いです。これは戦争になる前からこの様にしておくことが重要で、これらが抑止力となるからです。ちなみに現在のアメリカの軍事力は中国の7倍~10倍程あります。ですので日米同盟が防衛の一番の(かなめ)です。インドとアメリカの両国は核兵器を持っているのでそのことも日本としては重要視せざるをえません。2014年春頃この様な事が有りました。北朝鮮がまた騒ぎ出し、連日日本やアメリカを核攻撃する、などと公表していました。その時のアメリカの対応の仕方ですがB2爆撃機をF22の護衛数機を伴い韓国の米軍基地へと配備しました。それから数日後ベトナムにも配備しました。B2爆撃機とは16発の核兵器を搭載できるステルス戦闘機で元々ソ連の対空レーダー網をかいくぐって爆撃するために作られたもので、その性能は世界最高の爆撃機です。つまり北朝鮮へ「核を撃ったらこちらも核を撃つぞ」と圧力をかけたのです。現在の核兵器は広島、長崎に投下したものの1000倍以上の威力があると言われています。つまりB2爆撃機一機で北朝鮮を焦土化することができ、それをベトナムへ配備したのは北朝鮮の親分中国へのけん制です。するとどうなったか?北朝鮮は急に大人しくなり、中国は北朝鮮へのなだめ役に回りました。その時は私は世界の現実を知りました。とても辛い現実ですがこれが核の抑止力かと。また日本のメディアもそこまで詳しく報道しませんでした。これが自主規制なのかそれとも軍事はタブーとされているのか分かりませんが、放送されたのはB2爆撃機やF22が韓国やベトナムに配備された事だけでした。ここで話を戻しますが憲法9条のノーベル平和賞へのノミネートの件ですが私はこの様に考えて居ます。憲法解釈で集団的自衛権のを認めたうえでノーベル平和賞の受賞。これが一番良い形だと考えました。集団的自衛権の反対の人がアメリカの戦争に巻き込まれる、特に中東へのテロ戦争に巻き込まれるといいますがこれは100%違います。過去のイラク戦争後の機雷掃海を見ても分かる通り、その頃は集団的自衛権のは有りませんでした。ですが「やらなければならない」状況になりました。世界の世論と国内の世論その時の現状これらが重なるとその様になるからです。もう少し詳しく説明すると世界中の国民と政府から日本もイスラム国殲滅に参加するべきだと言われればじりじりとその様にせざるをえない状況になると私は考えて居ます。ですが現状どこの国もそのような事は求めて居ないのが一つ、それともう一つ集団的自衛権のとは同盟国が攻撃され、日本にも影響が有る

場合に行使されるものなのでイスラム国の件は該当しない。これが理由ですが良く政治を知らない人は日本はアメリカに言われると断れないとゆう人がいますが、私の感覚では対等の存在として扱ってくれる国ですので理由をはっきりと明示(めいじ)すれば断れると考えて居ます。それに出兵するかどうかの主導権はこちらにあります。これらの点を心配している人は心配し過ぎだと感じます。私も戦争は反対です。ですのでどのように立ち回れば日本は尖閣諸島が取られないで済むか?これを考えながら尚且(なおか)戦争になら無い方法を考えて居ます。そういったところからのノーベル平和賞へのノミネートでした。

色々と考えたのですがこの事も記載しようかと思います。2012年夏頃大リーグへと挑戦していた田沢純一投手が15試合位を投げ、防御率1,80位の好投をしていました。なのにファームへと落とされたとゆう記事を見ました。

この頃送ったSDカードの内容で私は法律の話をしていました。熱くなり勢い余ってこの記事の話になり、「すぽると」の記者からでもいいからこの様に伝えて欲しいと提案しました。「良い成績を残しているのにファームに落とすなら田沢純一の件で不服申し立てをするとファンが言っている。」と。するとこの事が伝わったためかその後すぐに一軍に昇格しました。この件から色々と私は野球の事で口を出すようになりました。その年のドラフトの目玉、大谷翔平選手の事でもこの様に提案しました。「もし本人がやりたいとゆうのなら、投手だけでなく打者としてもやらせてあげて下さい。これを球界全体で彼を潰さないようにサポートをし球団だけでなく各オーナーやコミッショナー含めて球界の宝にして下さい。」と頼みました。それほど彼のポテンシャルは高いと私は確信していました。獲得した球団の監督にはまだ18歳なので体は出来ておらず故障だけは絶対させないように気負つけて下さいと伝えて欲しいと言いました。この件につきましては大変多くの方からご批判あるかとは思いますが、本人がやりたいのであればやらしてあげ、尚且(なおか)つ二刀流の成功を願って頂ければ幸いです。一応私の考えを記載しておきますと、投手としての資質ですがこれはもう皆さんも良くご存じなのでゆうまでもないでしょう。打者としての資質はこちらも非凡なものがあります。元々苦手なコースが無く大成すれば3割打者になる可能性が極めて高い、とゆうのが私の最初の印象でした。160キロ以上のボールを投げるだけあってパワーはゆうまでもないでしょう。2015年のシーズンが終わってみてスポーツニュースの映像を見て居る限りでは今シーズンは低めのボール球に手を出すことが多かったと思います。そこでプレミア12での日本代表の戦い方を参考にして頂くのはどうでしょう。各バッターが低めのボールに手を出さず、バッティングカウントを整え尚且つ相手の投げる球種を無くさせ狙い球をしぼりヒットしていました。私が考えるにこの様な対応の仕方が一番理想的だと思うのですがぜひ身に着けて頂く思います。バッターとして高い成績を残すことが成功すればDHでの起用が出来るので、かなり負担は減らせると思います。私が考えて居た理想の形は打者をする事で打者心理を知り、投手をする事で投手の心理を知る。これを両方で活用し、読み勝つような選手になれれば、大リーグに行ってからも万全の態勢で活躍出来ると考えてたからです。海外から来る助っ人の選手でも成功する人を見て居ると、何冊もノートをとり徹底的に相手投手を研究し配球を読みます。打者の方にも2通りのタイプ別れると思いますが、来た球に反射的に対応するタイプと配球を読むタイプこの2つだと思います。勿論(もちろん)完全に分かれて居るわけでは無いのですがこの割合を3対7である程度球種が読めるタイプが良いと思います。後振り始めた時バットが届くかどうかの時など軽打に切り変える振り方など(これが出来ないと3割は厳しい。)ポテンヒットでも往年イチロー選手の様にどこにどれくらいの力加減で当てればヒットゾーンに落とせるか、それを理解し身につければ大きな武器になるでしょう。ただやはり重要視してもらいたいのは「ボール球や追い込まれるまで低めのボールを振らない打者」「相手投手の投げる球を無くさせ潰せる打者」です。

これらが出来て居たのは2015年プレミア12の中田翔選手でした。この様な状態が理想です。かなり大きな期待ですが、1年事に一つ一つ身に着ければよいと思います。まだまだ若いので私は大半の事は身につけれると思います。福留孝介選手は最初は何十打席もヒットがでず苦しみました。松井秀喜選手も松井シフトをひかれ散々苦労しました。ですのでバッティングは後3年で完成すれば良い位の気持ちでいいと思います。まずは選球眼の確立それからバットコントロールを身に付けつつ、相手投手の追い込みをぜひマスターして下さい。大谷翔平選手へ長々と勝手な事を書かせてもらいましたが許して頂ければ幸いです。2013年、第三回WBC準決勝で日本は敗れたのですがこの事についても色々と異論を言わせてもらいました。

それまでのオランダ戦で日本はホームランを打ちまくったのですがその事が私は心配でした。この様に大勝した後チーム全体が大振りになりあれよあれよと試合は進み気が付くと大して点が取れないまま試合が終わってしまった、とゆう事が起こりやすいのですが、準決勝のプエルトリコ戦は球場がとても大きく、一番ホームランが出にくい球場だったからです。まさか日本代表とゆうプロフェッショナル集団がこんな球場で大振りはしないだろう、と思ってもいたのですがいざ試合が始まってみると半分以上の選手が大振りでした。稲葉選手の様な巧打者が私は好きなのですがその稲葉選手ですら大振りをしており、外角のホームから20センチ程離れたボールまで振りに行った時もうこの試合はダメだと思いました。結果3-1で敗れこの事も私は言及しました。チームとしてなぜ繋ぐ野球をしなかったのか?なぜあんなに広い球場で大振りをするのか?この様な戦い方だとトーナメント戦は先に進めない。今後次のWBCのときには稲葉選手を打撃コーチにし大振りをしてるとこの様に負けてしまうと伝えて欲しい。今回の結果は完全に慢心が招いた結果だと私は言いました。先程ものべましたが日本代表のようにハイアベレージのバッターが並ぶ時は選球眼がいいので選手全員で低めのボールをしっかりと見極め腰から上のボールを打ち、相手投手の投げる球を無くさせどんどんマウンドから引きずり降ろして行く、こういった形着実に得点を重ねて自慢の投手力と守備力で最少失点で抑えて勝つ、そうするのが理想だと言いました。後、「私の様に学生の頃野球を経験している者は日本はとても多いと思います。ですのでなにがダメなのか気付いている人は多いと思います。慢心など論外。見て居て非常にがっかりしました。」とも言いました。どこまで伝わったかは分かりませんが、聞かれた方は非常に気を悪くされたと思います。その部分は謝罪します。申し訳ありませんでした。ただ見て居るファンとしてどうしても全くそういった部分を指摘しないメディアの方達、関係者の方達を見て居ると言わざるえませんでした。その後2015年プレミアム12がありましたが素晴らしい闘いだったと思います。チームが一丸となって相手投手の攻略を行っていました。準決勝で韓国に敗れたのはとても残念で則本投手が打たれたのは私も予想外でした。予選リーグの韓国戦を見て居た時には則本投手が打たれるような気配は無かったのであの継投は普通は行うと思います。ただ終わってみるとその普通の感覚では駄目で完全に抑えていた大谷翔平選手を(球数も少なかった)最後まで完封目指して投げてもらうべきだったかとも思います。改めて私も野球の難しさを再確認させられた大会でした。野球関係で言うとこれが最後なんですが実はバレンティン選手の件でも口を挟みました。この2013年は王貞治氏の年間記録55本とゆう記録を塗り替える勢いでした。実は昔にも55本に到達した選手は二人おり、西武ライオンズのカブレラ選手と近鉄バァファローズのローズ選手でした。当時は55本まで到達するとその後どちらの選手もまともに勝負してもらえず、ファーボールばかりでした。多くのプロ野球ファンの人達は歴史的瞬間を夢見てTVでも球場でも観戦していましたがその様な対応にみんながっかりでした。こんな事をされてまで王貞治氏が自分の記録を守りたいわけがないので王さんにとっても迷惑な対応だったと思います。その事を思い出した私はその昔の55本事件が有った事をアメリカのTVで放送し、今回はそんなことが出来ないように提案しました。勿論(もちろん)コミッショナーやオーナー、球団社長、監督全ての人が今回の提案、最後まで「バレンティンと勝負する事」を受け入れて欲しいと、あの時の様にファンが離れみんながモヤモヤした気持ちになるのは球界にとって大幅なマイナスだと熱く語り最後にこの様に言いました「仮に今回バレンティン選手が56本以上打ったとして、タイトルフォルダーが外国人になったとしてどこに恥が有るんですか?その後日本人選手がそれ以上打たないと思っているその事の方が恥だ。

大谷翔平選手の様に高校生で160キロを出す者が出て来たのだから、打者でもその内我々の想像を遥かに上回る者が必ず現れると思います、最近の高校生は190センチ以上の子が増えてきている。体格でも欧米に追いつきつつある。後は日本球界が育てれるかだと思います。」その後この話が通ったようで最後までバレンティン選手は勝負が出来、60本とゆう大幅な記録更新となりました。観客動員も増え野球ファンが熱くなれた事がなによりの成功だと私は思っています。スポーツでは後サッカー日本代表の戦い方として攻撃的なサッカーを行うべきだと提案しました。

2013年7月頃この他は総理の夏休みについて、しっかり休みをとり休んで欲しいと提案しました。総理がしっかりと休みが取れないと他の者も取ろうとしなくなり、ブラック企業が増えてしまうと考えたからです。ここからブラック企業について言及しました。ブラック企業が増えた事が少子化にも繋がっているのでブラック企業を一般企業に変えなければなりません。ですので労働基準局によるブラック企業の取り締まりの強化。新聞などのメディアへの企業名の開示、そしてブラック企業と戦おうとしている人達の(訴訟など)サポートをマスコミがしてあげて欲しいと頼みました。後、2020年頃にGDP600兆円(日本円)を目指すのはどうでしょうと提案しました。計算すると年3%の成長で達成できるので不可能ではない、とゆうのが私の見立てでした。それに目標は大きな方が良いとゆうのが私の持論でした。もし仮に目標を2020年GDP530兆円だったとしましょう。達成したとしても530兆円です。これを目標600兆円にし、仮に半分しか達成できなくても550兆円です。どちらが進んだかは明白です。私の考え方はだいたいこのような考え方なのです。後、日本と中国のGDPの差を縮めることはできないかを考えてもいました。このころから減退傾向に有り2015年現在では中国は表立っては高い成長率を(約7%)行っているとしていますが、使用しているエネルギー量は減少しており物流自体も減少しており輸入も減少してますので実質はおそらくマイナス成長だと思われます。ですのでこの間に出来るだけ差を縮めたいと私は考えています。

2013年9月下旬、様々な事に協力(ほぼ全部の提案えを受け入れて頂いていた。)して頂いた事にお礼を述べ、今度はTV番組関連について色々と提案しました。まずフジテレビさんの27時間テレビですが来年2014年はSMAP起用し、SMAP中心に感動できる内容にしてはどうでしょう?と提案しました。私の提案の件で役員の方には大分力と労力と時間を使って頂いていたのでなんとか役に立てないかと色々と考えていました。そこで明け方の時間も少しでも会社が稼げるように4時からめざましテレビまでニュース番組を低予算で作り放送してはどうかと提案しました。この時、皆藤愛子さんを推しました。元々めざましテレビのメンバーなのと、かなり記憶があいまいなのですが昔働きに来てくれたような気がしたからです。テレビにあまり出て無かったのでその番組だけではなく、他局でもクイズ番組など起用して頂けるように頼みました。その後、めざましテレビアクアが出来、27時間テレビもSMAPで行われました。言及はこれだけに留まらず、「笑っていいとも」についても触れました。当時視聴率が下降していたのと、もう一つに理由から新しい番組を作るべきではないかと提案しました。もう一つの理由とゆうのはタモリさんの高年齢化でした。一般企業でもそうなのですが高齢の方がずっと社長や会長に留まり続けて居る事がどうも私は納得出来ませんでした。だから政治でもなんでも老人が強い体制になる、と私は思うのです。当時はまだそこまで雇用の改善はされておらず一般企業含めて世代交代をしっかりするべきだと私は唱えました。そうしないと富裕層の人達だけがずっと稼ぎやすい体制になり、所得の差はますます広がるからです。一般企業含めて変えていくべきだとこのことを伝えると、ある日ニュースの一つの場面でファーストリテイリング(ユニクロ)の柳井さんにマスコミの方が「65歳を過ぎると退陣するべきだとゆう声も上がっていますがそのその辺りはいかがでしょうか?」といっているのを見た時に、柳井さんは東日本大震災の時とても多くの寄付をしてくださっていた方なので「そこにいったんかいな!」と正直思ってしまいました。柳井さんの様なリーダーは必要だと思うので、偏った事を言ってしまったな~と思い、伝える時は、もっと細かく「震災など災害で多くの寄付を行う人達は除く」としておけば良かったな~と反省する次第でした。話を戻しますがタモリさんは好きな方だったのですがこの様な考え方からもう十分稼いでいるだろうし、老後やりたい事とかあるだろうからもう次の中堅層にバトンタッチするべきでは?と言及し次の番組の提案をしました。私がこうやって色々と提案していて思ったのですが、芸人さんなども色々とやりたい事などがあるのでは?と思い「各曜日MCを別々の人が行い、やりたいことをやらせてあげるとゆうのはどうでしょう?もしダメならそこから普通に番組を作ればよいでしょうし。ただやって欲しい事もあるのですが東北の事で色々と頑張っているサンドイッチマンを起用し、東北関連で復興を盛り上げるような企画で行ってください。司会なんて出来ないなどと言っていたようなことがありましたが場数を踏めば出来るので他の局もサンドイッチマンを起用して下さい。」と提案しました。後、保険ではありませんがもし番組が振るわなかったら坂上忍さんを投入して下さい坂上忍さんも自分は司会には向いてないと言ってましたがやればできるので問題ないと思うとも言いました。その後「バイキング」とゆう名で番組は始まり、やることを最初からはっきりと決めて無かったらどれだけ危険かを思い知らされました。やりたい事をやらせてあげる(企画)とゆう形で始まったのですがみなさんからは「?」だったので(もっとやりたいこと、伝えたい事をいっぱい抱えて居ると思っていました。)大変な事になって居ました。フジテレビのみなさんへ、本当に申し訳ありませんでした。

それからお昼14時放送のニュース番組についても安藤優子にやってもらってはどうでしょうか?と提案しました。評論家の方2~3人これに芸人さんも1人入る形でと提案したのですがいざ直撃LIVEグッディとして始まってみると、評論家の方が政治経済専門の方ではなく俳優さん達とゆう体制でした。最初はこれは主婦層を取り込もうとした作戦なのかとも思ったんですが、だんだんこれは間違って伝わったのでは無いかと思い至りました。さすがにこれでは経験十分な安藤優子さんでもきついだろうなと思うものの、視聴率が低かったので追加で政治経済の専門家を加えるべきだとも言えず今日に至った訳です。たらればですがもしスタート地点に戻れるならば、青山繁晴さん、野村修也さん、宮崎哲弥さん、長谷川幸洋さんの内2人が出演出来る体制を作っておくべきだったと後悔しています。野村修也さんは「ミヤネ屋」に取られているので難しいですが。ただこのメンバーなら最初は低視聴率でもそこから巻き返せるとゆう自信はあります。3年程で「ミヤネ屋」とも互角に戦えるでしょう。その他歌番組も進めました。考え過ぎた結果、団塊の世代が喜び若い世代も取り込めるような番組とゆうとても抽象的な提案をしてしまいました。MCは森高千里さんを推しました。その後出来たのが「水曜歌謡祭」でした。結果多くの事を同時に実現しようとしてなにをやっているか分からない番組になってしまいました。フジテレビのみなさん、重ね重ねすみませんでした。それともう一つ、ショックだったのが水曜日に出来た番組だったので「世界行ってみたらホントはこんな所だった!?」が火曜日に移り私の提案した番組「世界の日本人妻は見た」と戦わなければなら無くなったことでした。「せかホン」には私の提案したとても良いコーナー狩八(かのぱち)先生が有ったのでこの二つの番組で潰しあわないで欲しかったです。現在は「せかホン」が放送されていませんがまた水曜でリメイクバージョンで出来ないか提案してみるつもりです。

さていくつかの失敗をしてきた私ですが成功例も有ります。この位の頃から私もタレント兼評論家として活動することを考え始めました。この様にHPを作り、メディアの方達に取り上げてもらう事が出来ればなんとかなるのでは?と考え始めました。やりたい事や伝えたい事がたくさんあるのでうまく立ち回れば話題に事欠かない人になれるのでは?とも考えて居ました。そんな中自分が生き残る為にヒットするであろう自信作の番組を考えて居ました。もし自分がタレントになった場合、自分の提案した番組に出演させて頂けることになれば生き残れるだろうと考えたからです。出来れば司会をやりたいなと考えて居たのですが、フジテレビさんが苦戦していたので伝える事にしました。一つは詐欺などの被害者を助けてあげる番組「ハンゲキ」です。以前記載したと思いますが、TV番組でいかに人助けや社会貢献ができるか?これが私の一つのテーマです。この世の中でどれだけ事件が発生し、泣き寝入りする人が多い事か。これを考えた時、弁護士さんを番組の経費で雇い解決して頂き、それを放送すれば、少なくとも年に何人かは助かると私は考えました。番組としても法律の勉強にもなるし、その様なリアルな一部始終を見ることも貴重だし、何よりも悪党が成敗されるのがスカッとします。ですのでかなり自信がありました。現在視聴率は10%程ですが、この世な番組が放送されていることと、その意味が認知されればもっと高い視聴率が狙えると思います。最初はすぐに収録できるものでも無いので年二回ぐらいの放送でと頼んでいましたが、もし被害者からたくさんの依頼が有り弁護士さんをたくさん投入できるのであれば、もっと放送回数を増やすべきだと思います。それとこの番組を提案する時にこの様な事も頼みました。「阪神淡路大震災の被災者として言わせてもらいますが、東日本大震災でも震災の事を利用して犯罪を行う者が必ず現れるので、弁済もしっかりさせて刑事事件でもきっちりと起訴して欲しい」と頼みました。MCには加藤浩次さん、ゲストの中には必ずレギュラーで弁護士さんの配備を頼みました。

2015年秋頃放送された時、東日本大震災を利用した詐欺師がいましたが、こちらの希望どうり徹底的に追い込んで頂きました。私の意志を受け入れて頂いてほっとしました。この番組に関わる全ての方へありがとうございました。まだまだこの番組を続け、それが犯罪の抑止力となるまで頑張りましょう。昔と比べて弁護士さんの数は格段に増えているのでどんどん参加して頂き番組の放送回数を増やし被害者の方を助けましょう。視聴者の方も出来るだけご覧になっていただけると放送回数を増やすことができるのでみんなで見て一人でも多くの被害者を助けましょう。よろしくお願いします。

これらの番組以外にもフジテレビさんにこの様な事を提案しました。「さっき提案したのはまさに悪党を倒してスカッとする番組だけど、そうゆうスカッとする話を毎週放送するのはどうでしょう?視聴者参加型にしたいのでネタは視聴者からも募集して行い、俳優さんや女優さんに演じてもらい最後は成敗してもらいみんなでスカッとしてもらうこんな番組はどうでしょう?」と言い、できれば小林麻耶さんも出演させてあげて欲しいと提案したところ、その後「スカットジャパン」とゆう番組が出来ました。すると小林麻耶さんが女優さんとして出て居ました。こちらはゲストのつもりだったのですが、まあ人間やれば出来るものです。うまくいっているので良しとしましょう。ここで状況を報告しておきたいのですがいつも記録したSDカードを送るとそこからはそのままです。あちらからは一切連絡はありません。ですのでこの様に意思の疎通がうまくいかず失敗する事があります。改善したいのですがさてどうでしょう。後この様な事も提案しました。「こちら視聴者側から見るとTV局とはいかに多くの事を知っているのかと思うほど情報通なのですがなんでもいいのでわずかな差を解明する番組はどうでしょう。抽象的で幅が広すぎてピンと来ないかもしれませんが物や事柄、値段、様々な差を教えて頂ける番組、こんなのはどうでしょう?これはTBSさんでもいいんですが」といったところその後TBSさんで「この差て何ですか?」が出来ました。題名は視聴者の心理をそそるものだったようで初回は視聴率17%と大きく好スタートを切りました。が、その次には一気に急降下したようなので残念です。正直私もどこに的を絞って放送するべきか分からなかったのでなんとも助言のしようがないのですがこの番組は初回の視聴率が示す通りTV局への期待の表れなので手探りでどうすれば面白いと思ってもらえるか?またこうゆうことだったのか!と思ってもらえるか探しながら作っていき起動に乗せれればなと思います。潜在能力の高い番組なので長い目で対応してもらえると嬉しいです。TBSさんにはこの様な事を提案しました。「100均を色々と海外の人へ試したもらってどれが良かったかを調査しランキングしたり日本の駄菓子を海外の人へ試してもらってランキングする要するに日本独自の物や珍しい物を海外の人へ試してもらい反応を見、どれが海外で売れるかランキング化する番組を作って下さい。楽しい番組にしたいので司会は所さんで名前は所さんのニッポンの出番でどうでしょう?後、外人さんを何人か起用でお願いします」と言いました。その後見事にそのまま「所さんのニッポンの出番」が出来ました。この番組の狙いはズバリ様々なメーカーの海外進出の下調べを行い海外進出しやすくする、とゆうのが実は目的でした。どのような物が海外で売れるか、なのでニッポンの出番とゆうわけです。TBSさんの番組概要では、日本の素晴らしさを再発見。と、きれいにまとめて頂いているので助かります。見るまでは面白い番組になるか心配だったのですが見てみると調査にいっているスタッフさんが親切に暖かく楽しく接して頂いていたので外人さんがとても良い反応をし、楽しく面白い現場となっていました。この後紹介する私のこれも提案した番組なのですがテレビ朝日さんの「世界が驚いたニッポン!スゴ~イデスネ!!視察団」こちらが好きな方はこの「所さんのニッポンの出番」も気に入ると思いますのでぜひご覧ください。さて先程出ました「世界が驚いたニッポン!スゴ~イデスネ!!視察団」ですがこれも私が提案した番組です。この番組が一番の自信作だったのですが、提案する時はとても慎重でした。「日本の良い所、工場などを紹介する番組を作って欲しいのですがどうでしょう?ゆくゆくは外国の専門家の視察団を作り、すごい所をみてもらったり、自国と比べての意見や提案を述べてもらい両国の親善や発展に寄与して頂く事を描いているのですがどうでしょう?司会は爆笑問題さんで、教養番組にしたいので変な事をいわれたりして欲しくないので田中さん主導で行ってもらい太田さんは座ってもらっておいて、おちゃらけない方向お願いします。ゲストは太田さん含めて4人、外国人ゲストは5人位でお願いします。なかなか経費がかかりそうなので最初は深夜放送からスタートして頂き、出来上がりが良さそうならゴールデンタイムに進出して頂きそのときから視察団に見てもらう、とゆうのはどうでしょう?行って頂きたいのはテレビ朝日さんと相性が良さそうなのでテレビ朝日さんでお願いします。幅広い層を取り込みたいので何か案が有ればお願いします。」と頼んだところまず「これぞ!ニッポン流!」とゆう形で始まり、半年後「世界が驚いたニッポン!スゴ~イデスネ!!視察団」が始まりました。出来た時の感想は、私のイメージしていた通りでピッタリとはまった物でした。綾小路きみまろさんが主婦層へお話するコーナーは私のアイデアではないのですが幅広い層の獲得のためできたコーナーではないかと思います。こういった感覚は私のは無いので勉強になりました。日本のすごさがしっかりと伝わっており日本人として誇らしい気持ちになれる番組ではないでしょうか?。また土曜の19時からなので学生の方にも見やすい時間だと思います。仕事をクローズアップしているので仕事とはどのようなものなのか?大人の人はいかに工夫しているかなどみているだけで色々と教わる事が出来る番組だし将来自分のしたい仕事が早いうちから見つかるかもしれません。視聴率は好調で私としてもとても喜んでいます。

さてここまで多くの番組を提案してきて一つ一つの番組に行う意味があるのですが、実はこれらは次の計画へ繋げるものでもあるのです。その計画とはTVを使い日本の番組を放送することによって各国との友好関係を高めたり、日本への観光客を増やしたり、輸出を増やす、とゆうものです。ではそのためにはどうすれば良いか?私はこの様な事を提案しました。ファンドを作り相手国のTV局の株を取得し発言権を増しこちらの放送したいものを放送できる様にするとゆのはどうでしょう。と。2015年12月現在総務省主導でのファンドが誕生しました。海外通信や放送コンテンツの輸出とゆうことなのでこちらの提案により出来たものだと思います。私としてもぜひこれらを活用出来る提案をしていこうかと考えて居ます。時期は正確ではないかもしれませんがこれぐらいの頃、新聞でこの様な記事に目が釘づけになりました。そこに書かれていたことをここに記載したかったのですが、残念ながら記事をどうやら無くしてしまったようなので大まかにいいますとまず福島の原発廃炉作業の記事でした。そこには廃炉を行う作業をされている方のコメントが掲載されていたのですがその記事によると外で作業しているのは平社員などの末端の人間だけで、上の人間はろくに現場を外に出てチェックすることは無く司令塔にこもってばかりだとゆうような内容でした。ずっと原発事故関連の記事を見てきましたが東京電力の対応の仕方を見ているとどこか他人事の様に思っているような対応があったのですが、その体質は現場まで及んでいるのが現状だと私は捉えました。この事に対する危惧と上層部の怠慢な仕事ぶりに責任感を感じられない怒りにより東電の役職者全員を福島原発で廃炉作業をさせて欲しいと頼みました。新聞の記事を読み上げて「今回の原発事故の被害は戦時下並みの被害だ。なのに現場は下っ端任せになっているのはどおゆうことなんだ?こんな事で早期廃炉なんて出来るわけがない。東電の役職者全員交代制で福島原発の廃炉に従事させるべきだ。そうして事態の重さをまず理解させるべきだ。東電の人間がやらなければならないことだ!下請けに任せてどうするんだ!!」と私は言いました。その後政府が指示を出したのか、圧力をかけたのかは分かりませんが12月頃には

年配の役職者は全員福島へ行く事となりました。芸能界関係ではこの様な事も提案してみました。「ローラをハリウッド映画のバイオハザードで起用することはどうでしょう?英語がしゃべれて本人がやりたがったらでいいんですが。」これは以前も提案をしたのですが「芸能界全体で海外への進出を加速させ、外貨を稼ぎ日本で使ってもらう。」とゆう経済作戦です。が最近2016年初頭フジテレビさんの「ダウンタウンなう」とゆう番組でローラは浜田さんに「これからはどうすんの?」と聞かれ「向こうで住んでたまに日本の番組に出る」と応えていたので、あべこべになってしまいそうで、「私としては失敗したな~」とゆう感覚です。後、アナウンサーさんで大江麻理子さんの事でこの様な事を提案しました。日本経済新聞社が出版している「日経業界地図」とゆう本があるのですが、その本の中で大江さんとWBS(テレビ東京で放送している経済中心の報道番組)に出演されているゲストの解説者のかたで対談を掲載してはどうでしょう?と提案しました。もともと私の感覚ではテレビ東京で放送されている番組の多くが日本経済新聞社の提供で制作されていることなど全くしりませんでした。よくよく見てみると良質の番組が多いので知らないことはもったいないのですが、多くの方達はそのような事は気づいて無いと思い、これらを繋げることで少しでも多くの方に認知していただく事が出来るのではないかと考えました。今回の狙いは普段日経新聞を読んでる人などにWBSを見てもらうきっかけになり、WBSを見ている方「日経業界地図」を手に取ってもらうきっかけになればと思い提案しました。2015年度版では実現して頂きうれしく読ませていただいています。大江さんがWBSに就任されてからは視聴率が少し上がり推薦して良かったとも思っていました。そうそういつ頃か忘れましたが大江さんの結婚相手を探してあげて紹介してあげてみてはどうかとも提案しました。これにはいろいろと理由があるのですがその一つが少子化の脱却。芸能界の人達で独身の方が多くこのことが社会に影響を与えていると考えたからです。後芸能人の結婚は墓場だ、のようなよくあるコメントも嫌なものでTVに出ている人たちの話を聞いてると結婚とは枷となるものみたいなイメージを想像する事が多く、幸せを感じさせないのですがとあるクイズ番組で一般の既婚者の方達にアンケートを取った所回答書の78%が結婚をして良かったと回答しており、幸せを感じます。こういった情報をもっと出すべきだとも感じました。大江さんは人柄も良く幸せになればいいのになとも想ったので提案しました。実はこうゆうことは初めてではなく、テレビ朝日の市川寛子アナウンサーも以前結婚を進めてあげて欲しいと提案しました。その時はテレビ朝日の人達はモラルも高そうだと感じていたのでそうゆう人と結婚してはどうだろうとすすめました。藤原紀香には歌舞伎役者の人がいいのではないかといったり菅野美穂には自分の仕事を理解してくれる俳優さんが良いのではないか?とも伝えてもらったりしていました。総じていえることは全員幸せになってもらいたかったのと、芸能人も結婚に前向きになり、願わくば晩婚化を改善することでした。ですので何度か芸能界全体で結婚を加速させてあげて欲しいと提案しました。

2013年10月頃、こんな事を考えていました。いつも労力を費やしてくれている高島彩さんが妊娠されましたのでなにかしてあげたいなと。そこで思い付いたのは竹田城。景色がとても良いとインターネットで掲載されていたのでこれを撮影して送ってあげようと思い、いざ出発。昼過ぎには到着。入口では入場料を徴収してました。なぜかとゆうと、老朽化している部分の改修費用を集めているとの事でした。入場料を払うとパンフレットを頂けたので読んでみると秋頃早朝(日の出ぐらい)に来ると竹田城は山の頂上にあるのですが雲がかかり天空に浮かぶ城の様に見えるとの事。私は昼過ぎに行ったのでその風景は撮影出来なかったのですが、その代わり快晴でとても心地よい青空が広がってました。撮影しながら竹田城の事を説明。インターネットでは日本のマチュピチュ(南米の古代遺跡でこちらも山の頂上にあり、雲がかかります。)とか天空の城として紹介されている事、現地にも居ましたが外国人の方達も来られている事、ガイドさんがツアーを組んで説明して回っていることなど解説していました。撮影しながらですがもちろんおめでたの祝いの言葉を二人にのべ、高島さんからある程度話しているとはおもうのですが北川さんにも今までの経緯を簡単に(とは言っても30分位長々と話していた。)話しをしました。理解をしてもらいたかったからです。阪神淡路大震災後からの様々な人との出会い、その出会いをしっかりと把握しないで後々後悔したこと、東日本大震災が発生し被災者の力になりたい事、日本の経済を立て直したいこと、より良い日本を作りたい事、様々な提案を受け入れてくれて多くの人が動いてくれている事、そして結果が出始めている事、そしてこれまでの話や結果をネタにタレント活動をしようかと考えていることなどを伝え最後にこの様な事を頼みました。「ここまでの話を聞いてもらって恐縮なのですがこの事を歌にして欲しい」と頼みました。その頃夕方にさしかかり夕日を撮っていたのでお題は「光」でと頼みました。ここまでで今回は終わろうと思っていたのですがまだまだいつものように頼みたい事が出てきたのでまたいろいろと提案を家で録画するのでまだ見て欲しいといい、竹田城の撮影は終了しました。実は他にも安藤美姫や絢にも同じように録画したSDカードを作成しました。美姫には子供が生まれていたのでそのお祝いや、もしかしてママでも金を狙い出したのは私が言い出したからではないか、とも思い、労をねぎらったり、世界選手権で金を取ったときに送ってきてくれるハガキのお礼など伝えたい事が有ったからです。絢には、ゆずの北川さんに頼んだように、今までの経緯を話し、歌にして欲しかったからです。竹田城から自宅に帰り、その日はもう遅いので就寝。後日続きを録画しました。SDカードに録画した内容はメモしているわけではないので思い出しながらなのですが、続きはまず竹田城の事だったと思います。2013年は海外からの旅行者の数が1000万人を突破するかどうか?とゆう年でした。それまで円高に進んできた日本では1000万人を突破した事は無かったのですが当時円相場1ドル105円程に持ち直した事とビザの一部の国の緩和により達成しそうでした。と、ここまでは良い流れなのですがそれまで私が提案してきた番組などで世界がらみのものが多かったのと、景気回復とボーナスの回復により日本からの海外旅行者の数がこれまた過去最大で1000万人と日本経済にとってあまり良くない事となってしまいました。このことについて言及し海外旅行よりも国内旅行を増やす事に力をいれなければならないとし、そこで竹田城の出番でした。私は竹田城を新聞やTVで取り上げて欲しいと、そうすることによって国内旅行の方も増えるだろうと提案しました。それとこんな事も言いました。当時高島さんが出演し放送されていた「世界行ってみたらホントはこんな所だった。!?」を「その場所に行った気になれる、を付けてみてはどうだろう?海外旅行者数が過去最高と言ってもほとんどの人は海外旅行に行けない。いけない分TVで楽しむ、そんな作り手の心があってもいいと思う。とは言っても長すぎるから無理か~」などとこぼしていたのですが、その後そのフレーズを付けてくれてました。が、宮迫さんから「題名長いわ!」と突っ込みを入れられていたのはゆうまでもありません。(その題名は2か月ほどで無くなりました。)竹田城の方は素早く新聞やTVで取り上げて頂き、TVでは緊急で特番を組んでいただいたりもしました。その効果は大きなもので、それまで年数万の来客だったのが年数十万と大きく飛躍し、城壁の補修費用もめでたく集まったそうです。ところでこの「天空の城」は他にほ有、岡山県高梁市「備中松山城」、三重県熊野市「赤木城跡」、福井県大野市「越前大野城」などがあります。こういったところにも外国人の方が来てくれるように、PRするべきだととも提案し、他にも外国よりも国内旅行に行きたくなるようにたまにTVで日本の名所を旅行する番組も作って欲しいと頼みました。

最後に竹田城の撮影の時に頼んだ歌の事と、今考えている経済再生のプロジェクトを改めてSDカードに込めて送るので期待してほしい事を伝えました。その時に、ゆずの二人には以前あったのではないか?とゆう疑問を投げかけました。場所は2002年から2003年にかけて私が勤務させて頂いていたサンパレス六甲とゆう結婚式場なのですが、おぼろげにそんな気がしていたのとその時「友達」と言ってくれていたような気がすることを告げました。かなり記憶があいまいなので記憶違いのような気がしたのですがもしそうなら今回作ってもらう曲の含まれているアルバムの最後に友達に関する曲を入れておいて欲しいと頼みました。ただ記憶違いでも今回の件から友達なってほしいからどっちにしても入れておいて欲しいとも言いました。

ここで現状をお伝えしておくと、高島さんから連絡を受けたことは無く、いつも一方的に私が伝え、動いてもらっています。ですのでYes,Noの返事もなければ「伝えておいたよ」とゆう答えもありません。ですが私の提案した番組が出来たり政治経済の提案が採用されたりしているのを見ると逐一伝えて頂いている事は間違いありません。ただこの様な関係ですのでこちらの頼んだとおりになっているかで偶然じゃない事をいつも確認しています。話を戻しますが絢には「虹」を題名に頼みました。それともう一つ高島さん経由でこの様な事を頼みました。「黒髪で長髪で女性でライトハンド奏法(ギター)ができる人にも作ってほしいんだけどどうかな?勢いのある曲がいいんだけど。未来に期待出来る世界を僕は作りたい。まあ次に送るSDカードの内容にはかなり自信があるんだけど、そうゆう曲がいい。でミュージックステーションでゆずが歌った後でその人にその曲を歌って欲しい。こうしないと作ってもらってもわからへんから、お願いします。それと最後にもし僕がタレント活動をし始めたら、みんなで支援して欲しい。例えば今までの事をホームページに記載するから取り上げて欲しい。それで提案した番組に呼んでもらったり、これから提案する番組に起用して欲しい。今考えているのは

討論番組で出演者は古館伊知郎さん、池上彰さん、青山繁晴さん、宮崎哲弥さん、長谷川幸洋さん、野村修也さん、村尾信尚さん、このメンバーに国会議員の方達を交えてもちろん総理にも出てもらい政治経済などでみんなで知恵を出し日本を良くしていく番組なんてどうだろう?日曜の夜を考えているんだけど。もし、まあどこまで支援してもらえるかはわからへんけど支援してもらえるならミュージックステーションにバンプオブチキンを出してあげて欲しい確か光にまつわる曲が有ったとおもうのでそれもやって欲しい。」と頼みました。私が知らなかっただけなのですが実はバンプオブチキンさんは意図的にTVにでてなかったようです。が、その後半年後位にたまたまTVを見るとバンプオブチキンがミュージックステーションに出演。

感動のライブを繰り広げてくれていました。その時とは別の時ですがゆずは「ヒカレ」を作ってくれて、絢は「虹色」を作ってくれていました。ゆずのお二人が出演されていたときゆずの次に登場したのはmiwaさんでした。

それまで長い間音楽シーンから離れていたのであまり知らなかったのですが見ると黒髪で長髪、そして女性。これはと思い歌詞やギターの弾き方を注目していたのですが間奏のライトハンド奏法や歌詞の様子からすると私が頼んでいた人でした。(断定はできませんが多分そうです。)この作っていただいたゆずの「ヒカレ」と絢の「虹色」miwaさんの「Faith」とても気に入っています。「ヒカレ」と「Faith」は未来を形作る力強いパワーを感じる歌詞と曲でした。「虹色」は絢らしい優しい曲調とどこかおもいやりのある歌詞でした。この三曲は私にとってとても特別な物で繋がりに自信を無くしたりした時に聞き、エネルギーをいただいています。私にとってとても大切な曲です。みなさん本当にありがとうございます。!またどこかでお礼を述べたいと思います。そうそうゆずの「ヒカレ」は2014年冬季オリンピックの応援ソングとして起用して欲しいのと、2020年東京オリンピックでゆずが日本代表の歌手として歌えるように推薦をしました。

2013年10月末SDカードに経済再生の策などを録画し、いつもどうり郵送しました。内容の方ですがそれまで私はどのようにすれば一番国益が上がるかを考えていました。どのくらいの円相場が良いのか?その一点に集中していました。なぜならTPPEUとのFTAが控えていたからです。中国とだってゆくゆくはFTAを達成し、ゆくゆくはEPAにもっていかなければならないと考えていたからです。(FTAとは物流などの貿易の関税撤廃、EPAはさらに知的財産権の保護やサービス関係の緩和など。TPPは環太平洋地域の国々でのEPAのようなものです。いきなり全て関税撤廃を行うものではなく、いくつかの品種は年数をかけて撤廃や、規制されていた輸入量の緩和を行ったりします。)これらの事を考えると円安に進むのが良いのですがこの頃、原油やガスの燃料費が貿易収支を見ると重荷になっていました。この事も頭に入れて考えなければならなかったのでなかなか答えは出ませんでした。そんな時新聞でこの様な記事を見かけました。2013年この頃は造船も苦戦してました。その昔1980年頃は日本は造船でも活躍していてアジアで使用されている船の95%以上は日本製でした。世界でみても50%以上は日本製だったのですが今や中国や韓国に負けてアジアで三位。そんな中ガソリン代の高騰によるなか日本は燃費の良い船を作り、対抗していました。中国が一番たくさん作っているのですが新聞の記事によると中国製の船は日本製のものと比べて2割安いとの事でした。その時私は「1ドル135円なら日本の方が安くなるのか。」と思いました。この時、もしそのぐらいの円相場なら自動車産業は伸び鉄道も輸出しやすくなり家電もサムスンやLGと戦えるのではないか?と考えました。その円相場なら対ユーロでも大分円安になる。その頃EUとのFTAが結べていたのなら市場は取り返せるかもしれない。TPPも俄然優位になり農家も守れるどころかもっと打って出られる。そのように考えました。ただここでも問題なのは円安になると、燃料費が上がってしまいます。それと、諸外国特にアメリカとEUに認めてもらわなければなりません。70円台から105円の時は認めてもらえてましたので、理由があればうまくいくのではないか?そう考えました。そこで私は阪神淡路大震災の被災者としてオバマ大統領やイエレン議長、EUのドラギ総裁こう伝えてほしいと言いました。「阪神淡路大震災の前は1ドル135円程でした。この頃までは日本はあまり借金はありませんでした。しかし阪神淡路大震災後円高になり、貿易立国である日本は衰退してしまいました。東日本大震災の時も、本来なら円安になりそうなものですが保険金が降りるから大丈夫などと言われ円高になり、日本の企業は悲鳴を挙げていました。阪神淡路大震災の時もそうだったんではないのでしょうか?私はこの事が悔しくて仕方がありません。どこも日本をたすけようとする国は有りませんでした。これが世界の答えなのでしょうか?お金を動かせるものだけが肥え太り、どれだけ被災者が困っていてもおかまいなし。挙句に中国に仕事を取られ日本は散々です。そこでお願いがあるのですがアメリカもEUも日本の金融緩和を認めて下さい。1ドル135円位が目安です。日本に中国や韓国と公平な競争をさせて欲しいのです。この為替相場は日本の失った20年、丁度震災前に戻してほしい、とゆうことなのです。阪神淡路大震災の被災者としてよろしくお願いします。」と頼みました。ただいきなり一気に135円まで行くと、何が起こるか分からなかったので段階を踏んでやるのが良いと伝えました。そしてもう一つ、これはもうダメもとだったのですがオバマ大統領に原油価格を下げて欲しいと頼みました。この頃TVはシェールガスばかり取り上げていたのですが、私はシェールオイルに着目しました。アメリカが他国に輸出するようになれば価格競争になるだろうし、そのためには原油をダブつかせなければならない、つまり生産過剰の状態を作らなければならないのです現在石油がほぼ出ていない日本にはどしようもない話でしたのでオバマ大統領にはこの様に伝えてほしいと頼みました。「ほんの20年前は1バレル20ドルだったのに現在では1バレル100ドルを超えているのは異常です。物価などは先進国はどこもほとんど変わっていない。産油国が暴利をむさぼっていると言わざるえません。そしてこの事が世界経済に悪影響を与えている。ですので原油価格を下げるのに力を貸してください。」とストレートに言いました。もちろんこの事が全てそのまま伝わっているとは限りません。ですがこのような言い回しで良いと私は思いました。実は何か月か前にオバマ大統領が演説の時にシェールオイルの話をしていました。声も高らかに拳を振り上げ、「これでもう我々はアラブの値段設定につきあわなくてもいいのです!」と言っていたからです。オバマ大統領も1バレル100ドル以上とゆう値段にかなりこれはおかしいと腹を立てていたからです。ただこの頃私は「それでも簡単には下がらないのでは?」と思ってましたので皆さんからの方々(ほうぼう)の人脈をたどりできるだけ下げれるように全員で知恵を絞って行動してほしい事を伝えました。こういった計画なので全員の足並みをそろえなければならないので私は時期を決めました。その頃からの一年後、2014年10月から金融緩和と石油の値下げを同時に開始して欲しいと頼みました。為替相場相場はいったん1ドル120円位で様子を見る事を提案しました。この頃はまだ原油価格が下がるかは不確定要素ですのでこれにより電気代などが上がるかもしれなかったからです。ここで石油とガスと石炭の関連を説明させてもらいますと、実は原油価格が下がるとガスの価格も下がる傾向にあります。ですので両方同時にうまく進めば今までの生産コストで海外に安く商品が売れる、とゆうことになります。ただこの時点ではどうなるかわからないので私はこの様に伝えました。「今後のことですが2016年にガスの小売り自由化、

2017年アメリカと2018年カナダのシェールガス輸入解禁2016年電力の小売り自由化、2018年発送電分離これらがありますのでガスや電力のコストダウンが見込めます。ですのでこのあたり、2017年から2018年をめどに第三弾金融緩和1ドル135円にするのが良いかと思います。TPPは出来るだけ引き延ばして最低でも1ドル120円位にスタート出来るようにするのが良いと思います。正直1ドル105円では日本は苦しい。120円なら農家もある程度対処出来るかと思います。135円

からのスタートが望ましいのですがそこまで待ってはくれないので120円をスタート目安としました。もしうまくいけばEUとのFTATPPでの日本の状況は変わります。さんざん中国にやられていた造船、韓国にやられていた家電の復活、円安効果による水素、電気自動車のどこの国よりも早い普及に伴う輸出の優位性、農業を含むその他産業の輸出活性化、他国からのインフラ受注の増加、外国人旅行者の増加と日本人の海外旅行からの国内旅行への切り替えによる内需拡大などなどメリットは大きいので行うべきだと考えます。ただ中国と韓国の反発をどうかわすかが課題です。その他の国も米国の量的金融緩和の縮小をしようとした時の反応を見る限りでは文句も言わないでしょう。この件について十分な議論のうえ開始して頂きますようよろしくお願いします。」とこの様に言いました。その後には水素社会の重要性について話ました。週刊朝日に掲載されていたのですが、水素自体は国内のコンビナートなど工場から廃棄されている分で年間1000万台分を賄えるとゆうのです。もしこれが活用されれば年間1000万台分のガソリンを輸入しなくてもよくなります。その後見たニュースでは川崎製鉄かどこかの工場で生産過程で出る水素を回収し、パイプラインを住宅地に引き、その一画で使われている住宅の電気はその水素で賄われていました。そのようなシステムも作ることが現在では出来るのです。とゆうことは、日本の工業が活性化し、輸出が増えればそれだけ水素が作れて海外からエネルギーを買わなくても良いとゆう、貿易収支に大変良い状況を作れると私は力説し、これらの設備設置も進めていく事が重要だと提案しました。2020年代からメタンハイドレートなどの海底資源の商業化か見込めることも話、日本に未来はそう悪くは無いと伝えました。賃金の面ですがこの頃はまだ経済界はベアベースアップに対して歯切れが悪かったのでTV局の役員の方達からベアベースアップを後押して欲しいと頼みました。いくら金融緩和をして経済がデフレ脱却を果たしたとしても、サラリーマンの賃金を上げないと少子化の脱却は見えては来ない。消費税率引き上げもしていかなければならないのでベアベースアップは絶対に行ってもらわなければならないことでした。非正規の方達の正社員化も検討して欲しいと推しました。金融緩和による円安で、海外に出て行った会社を国内回帰出来ないか検討して欲しいと頼みました。

国内で仕事が増えれば雇用が生まれ、人材獲得競争が生まれます。そうなると非正規では人が集まらないので正社員での募集が増え正社員化が始まります。まずは1ドル120円になれば少しはこの様な傾向になるのではないか?と私は考えました。最低賃金にも言及し地方でも1000円

以上に上げるべきだと提案しました。ただこのように愚痴もこぼしました。「一年の労働時間が定時で終わる会社なら2160時間。時給1000円なら年収約216万円で

中卒の正社員位。時給1200円なら年収約260万円で

高卒の初任給位。時給1400円なら年収約300万円で

大卒初任給位。こうなってくると非正規の社員さんが現在4割を()める現状を考えると東京では最低賃金1500円位に設定し、各政令指定都市も同じくとし、それ以外は1400円位で考えないと、人口は増えないと思う。」そんな事を言っていました。いきなりそこまでは無理だろうなとその時は考えていたのですが、実はその後アメリカではとある州では最低賃金を一気に1500円まで引き上げた州があります。(それまで1000円位でした。)その後大きな混乱も無くうまく街は運営されていました。現在

2016年の今なら日本もここまでするべきだと思います。最近最低賃金を1000円まで引き上げるとの案が国会で話されていたのですが1500円まで引き上げてほしいとのデモがありましたがまさにその通りだと私は考えます。これはまた後日提案しようと思います。後、私は金融緩和が成功したときの事を考えていました。多くの輸出業の会社は純利益が大幅に増額するでしょう。だがそうじゃない会社で潰れたら全ての輸出業に悪影響が出る会社、そう、私は製鉄会社が心配でした。円安になればそれだけ資源価格(鉄)が上がるのでどれぐらい有利になるかが分からなかったのと、中国の製鉄に押されているとゆう現状がありました。どうゆうことかたゆうと、中国の製鉄所は供給過剰になってもなかなか減産をしないのです。ですので鉄鋼などがあまり、たたき売りをアジア各国に行い、日本の企業は苦しい価格競争をしいられていたからです。そんなことをすれば中国の会社は潰れるのでは?と思いますがそこが共産主義国の厄介なところで補助金を付けたりされてます。ただでさえ円高で苦しいのにそのような状況でした。ですのでなんとか製鉄所が楽になるようにまたダメもとで私はこの様な事を提案しました。「もし今回の金融緩和がうまくいけば輸出業の純利益は大きく増えます。特にトヨタの純利益は凄い事のなるでしょう。そこで相談なんですが普通鋼材の半分近くは自動車用なのですが、その多くを占めるトヨタさんに鉄鋼価格の値下げは見逃して頂きたい。その代り各企業や政府機関で車を購入する時は水素自動車を購入するように勧めて下さい。2015年から水素ステーションが100か所できるのですがまだこの段階では東京がほとんどです。ですので東京エリアで集中的にお願いしたいのでよろしくお願いします。出来れば鉄鋼所はその利益で工場から廃棄されていた水素を回収するシステムをつくる設備投資に回して下さい。狙いはいくつかあるのですが、まず一つは水素社会実現の加速化、早く確立した国が輸出でき大きな利益が期待できる。一つはそうすることで国内でエネルギーを確保できそれだけ海外からのエネルギーの輸入を減らせます。貿易収支の改善に貢献できます。ここで注意点があるのですが造船業や電気機器(家電など)は鉄鋼業界に値下げ交渉をさせてあげて下さい。これから海外への輸出で巻き返しをはかるためにもお願いします。オールジャパン、和の精神で経済の再生をしましょう。」と提案しました。少し政治経済から話が()れますがこの時に新しい番組を提案しました。きっかけは「すぽると」で関根(つとむ)さんが「もっと若い人で将来性がある人を取り上げる番組などがあったらいいのに。」と言っていたのがきっかけです。私も東京オリンピックを見据えて作るべきだし、その後もスポーツの発展になるのではないか?と思い提案しました。そこでスポンサーさんをトヨタさん一本でお願いしました。この番組で将来世界的に有名な選手になる人が出てくると考え、その時にも優先的にトヨタの広告塔になってもらい、水素社会の発展に貢献してもらえるのではないか?と思ったからです。その事を伝え、MCは関根さん後若い人に見て欲しかったのでAKBから一人と芸人から一人を提案しました。後「AKBグループの若手が各地に探しに行く。」事、日曜日の朝に放送して欲しい事を提案しました。そして出来たのがフジテレビ朝11:15放送「ミライモンスター」です。スポーツ好きの方にお(すす)めの番組です。他には映画について言及しました。アメリカハリウッドでも現実に起きている事で映画にすべき話があるはずです。戦争での一兵士の立場を描いた物を作って欲しい。私達が知るべき事があるはずです。個人的な考えですがシリアに米軍の地上軍派遣はやめておいたほいがいいと思います。イラクやアフガニスタンを見るとその後の統治が難しい。リビアの様に現地の人達に力を貸すとゆう方法が一番だと思います。米軍の兵士だって家族が居ることを忘れるべきでは無いと思います。」もう少し話したのですが短くまとめるとこの様な事を提案しました。その後「アメリカン・スナイパー」いう映画が出来ました。拝見したのですが戦争のリアルな「つらさ」が描かれている作品でした。日本の映画業界には「杉原千畝」を提案しました。日本人にも知ってほしいのですが、外国人の方にも知ってほしいとの想いから提案させていただきました。少し話が逸れました。話を政治経済に戻します。他には海外へのM&A、東証社外取締役2人以上、神戸ビーフの販路拡大、沖縄USJの建設、アフリカや東ヨーロッパへの資源開発やインフラ受注(老朽化したもの含む。)などを提案しました。各理由ですが海外へのM&Aは、これは円高の内に行っておく方が効率が良いので提言しました。ただこの時点でこの先円安になるかはまだ誰にも分からなかったのでどこまでその提言を受け入れていただけるかは不透明でした。これもダメもとの提案でした。東証社外取締役2人以上の件ですがこれは某製紙会社のボンボンが会社の金を約100億ほどギャンブルにつぎ込んだとゆう事件がありました。会社とゆうものはそこで働いている人達みんなの物です。なのにその人達に分け与えるでも無く自分の欲望のままに会社のお金を使うなど言語道断だと私は考えます。この人はどこかに創業者の子孫だから会社は自分の物だと傲慢にもそのように思っていたのでしょう。こんな事でその会社の人達のボーナスが減ったりするのは許しがたいことと再発防止策として提案しました。次に神戸ビーフの販路拡大ですが、これはもともと神戸ビーフの評価が高かったので世界ナンバーワンの称号を取り、輸出を促進させるのが狙いでした。神戸ビーフが認められれば、他の松坂牛など高級ビーフも神戸ビーフと比べて遜色(そんしょく)無い物として海外に打って出れると考えたからです。元ホテルマンとしての感覚なのですが日本の高級和牛ならば、その価値が伝われば世界中の高級ホテルが取り扱いたいに決まっていると私は絶対の自信がありました。ですので突破口として神戸牛の後押しを政府もして欲しいと提案しました。次は沖縄にUSJですがこれは沖縄にあまり産業が無いとゆう事を知ったときに考えました。沖縄は年中暖かいので

まんべんなくお客様を誘致する事が出来るので適していると思ったのですがただ同じようなキャラクターなどを採用すると大阪とお客様の取り合いになる。それでは困るのでなにか差別化を考えたのですがとても良いアイデアが思い浮かびました。それは任天堂やPS(プレイステーション)のゲーム会社のキャラクターを使わせてもらをうとゆうものでした。沖縄USJを作るにあたって、やるからには海外のお客様に来ていただきたいのでこれはとても有効な手段だと思いました。なぜならPS4は現在までで海外で約3000万台売れていて絶好調です。ゲームソフト会社のスクエアエニックスのファイナルファンタジーやドラゴンクエストのアトラクション、KOEIの信長の野望や三国志の世界など無限の可能性が私には感じられます。海外には無いものだしとても海外の方の興味を引くと思います。このアイデアで最終的には海外からのお客様を200万人程年間誘致出来るようにするべきだと提案しました。次はアフリカや東ヨーロッパへの資源開発やインフラ受注(老朽化したもの含む。)ですが2013年はアジア中心でトップセールス外交をして頂いていたのですが手薄なアフリカや東ヨーロッパの強化のために行って頂きたい事を提案しました。アフリカでは石油の権利を中心に資源の強化

東ヨーロッパも同じくと旧型から新設されるインフラ受注なども視野に行って欲しいとの提案でした。そうそうこんな事も提案しました。過疎地でのガソリンスタンド廃業問題です。ガソリンスタンドにはガソリンや灯油などを貯蔵する施設地下タンクがあるのですがこの期限が、これは作られてから40年と法律で決まっています。新しく新設するのに2000万から3000万かかります。そこで40年を超えたガソリンスタンドのオーナーは自分の年齢のこともありここいらで店じまいしよう、とゆう方が多いのですがその後誰もガソリンスタンドをやる人が現れず、町からガソリンスタンドが無くなってしまう、とゆう事態が発生している、とゆうことでした。この問題の解決策を私はすぐに思いつきました。実は私は以前冬に灯油の巡回販売をしていたのですが、その仕組みがタンクローリーから直接給油ノズルでお客様の灯油缶や貯蔵タンクへの給油でした。つまり、隣町のガソリンスタンドからタンクローリーがその過疎地のガソリンスタンドへ来てその場で売ればいい、とゆうものでした。そのタンクローリーなら中古なら200万円以内で買えます。タンクローリーの積載量は約3600ℓです。これを曜日を決めて週三回ほど過疎地の店じまいした所で販売しまた別の曜日で週三回ほど別の過疎地で販売、とゆうことも可能です。ただ消防法でタンクローリーからのガソリンの直接給油は禁止されていたと思うので国会の方で法改正をして欲しい、このようにすれば解決できると提案しました。ここまで提案後

高島彩さんにお礼を述べをのべ、金融緩和や原油の価格低下などうまくいけば日本の諸葛亮孔明を名乗らせてもらうよと軽口を叩きました。そうそうこの頃はEUが金融緩和をするかどうか?と迷っていたので私は行うことを進めるように提案しました。世界経済を活性化させるにはアメリカだけでも日本だけでもEUだけでもだめでこの三つ、贅沢も言えば中国も金融緩和をすればいつでも軌道に乗せれる、と私は考えています。途中ですが訂正させて頂きたいのですが、IHIの航空機のエンジン工場の件ですが、福島・群馬に新工場を作って頂けてました。一時その記事が行方不明になっていたので

あのような書き方になってしまいました。IHIさんは被災地の雇用回復にひと肌脱いで頂けました。その後高島さんは産休に入り私は2015年二月頃までなにも提案しないで固唾をのんで金融緩和を見てました。2014年10月から12月末までで一気に円安になり、12月には原油の価格がだだ下がりでした。円安よりも私は原油の価格に驚きこのことは嬉しい誤算でさらに翌年の一月も下がり続けました。このままでいけば2015年度は貿易収支がかなり改善されるだろうと喜んでいました。なぜなら東日本大震災の前までは貿易収支は黒字化されていたのですから。ただ今回の段階では原油価格の低下での赤字圧縮ですので輸出が回復したわけではありません。円安効果である程度輸出は回復するでしょうがまだまだだろうな、とゆうのが私の読みでした。ただしこの円相場が続けばいずれは数年で回復します。

2015年一月。いつものように新聞の記事を見ていると1月12日の毎日新聞で「ローリー直接給油検討 経産省スタンド過疎地で」とゆう見出しの記事を見つけました。一年ほど前に頼んだ件です。私は食い入る様に記事を見ました。内容は、近隣にガソリンスタンドが無い「GS過疎地」での住民の利便性を図るため、経済産業省は、ガソリンを運搬するタンクローリーから自動車に直接給油する方式の導入に向けた検討に入った。「移動式GS」と位置づけ給油装置の開発費など約1億5000万円を2015年度予算案に計上し、実証試験を始める。ガソリンの直接給油は保安上の観点から消防法で原則禁止されているが、経済産業省は安全に給油できる装置を開発し、消防庁に規制緩和を働きかけたい意向だ。(ところどころ省略)GSが近隣にない場合、自動車のほか農業機械への給油に支障が生じる。経済産業省は、地域の石油販売業者などがタンクローリーを定期的に巡回させ、広い駐車場などを利用して、集まった住民の車に直接給油することを想定している。設備が必要ないためGSよりも業者の負担が大幅に軽減するとみている。ガソリンは引火性が強いため、灯油や軽油と異まり、GS以外での給油が原則認められていない。消防庁は「保安上の課題が多い」と規制緩和に慎重だ。だが欧米では給油装置付きで認められており、経産省はより安全な装置や仕組みを目指す考え。ただ、装置が開発されても、給油できるのは、資格をもつ石油販売業者の社員などに限る方向だ。との記事でした。私が提案した内容が記事になることは今までに何回も見てきたのですが何度見ても嬉しいものであり、達成感があるものです。これで田舎の人も助かるなと思うと人助けっていいな~と思います。次に見た記事は1月29日日経新聞「国内ドック16年ぶり 今治造船、円安で競争力 400億円投資」内容は

国内の造船最大手、今治造船は大型の建造設備(ドック)を香川県丸亀市に設ける。約400億円を投じて2016年10月に稼働する。国内の大型ドック新設は16年ぶり。日本メーカーは2000年代に入って韓国や中国の企業に受注を奪われてきたが、円安が進んで価格競争が回復してきたことで投資に踏み切る。円安を背景に製造業が国内生産を増やす動きが広がりつつある。(中略)とゆうものでした。造船復活は私の目標の一つなので金融緩和の確かな手ごたえを感じた記事でした。

次に目に()まった記事は2月18日日経新聞「強いトヨタ鉄にも分配 鉄鋼業界、値下げ免れる」内容は トヨタ自動車と鉄鋼大手は2014年度下期の鋼板価格を14年度上期比横ばいとする事を決めた。交渉のベースとなる鉄鋼原料価格が大幅に下がり、本来なら値下げの環境にある。鉄鋼側も当初から想定していたわけではなかった。トヨタの強さの恩恵を、部品メーカーだけでなく売上高5兆円超えの新日鉄住金なども受けることになる。ただ、電気など他業界との交渉で同様の展開を望むのは難しそうだ。(中略)三菱商事系の鉄鋼商社メタルワンのある幹部は「原料価格に連動しないのはかなり異例だ。トヨタ側の意思がこもった横ばいだ」と驚きをもって語った。経済全体の浮揚をトヨタに期待する政府の意向を踏まえ、鉄鋼業界内では「今回はアベノミクスの勝ちだ」(鉄鋼商社の阪和興業)との声も漏れる。車用鋼板の価格交渉のなかでも、トップメーカー同士が火花を散らすトヨタと新日鉄住金との交渉はチャンピオン交渉と呼ばれ、これまで素材価格の相場形成に大きな影響力を持ってきた。(中略)とこの様な記事でした。以前提案した事を行って頂たようで、私は大変感動しました。これはただの値段設定ではなく、オールジャパン体制が作れる、とゆう事を意味しているからです。私は心の中で豊田章男社長に「ありがとうございます!とお礼を述べました。」次はこの様な記事を読み喜びました。2月20日朝日新聞

「神戸ビーフ増産猛進 EU向け好調輸出前年比2.5倍

乳牛で代理出産新施設も」同月25日朝日新聞「次は聖なる神戸ビーフ イスラム圏に商機ハラール認証」まず20日の新聞の方ですが 兵庫県の高級和牛「神戸ビーフ」の輸出が昨年627頭分と前年の2.5倍に達した。7月に解禁された欧州連合(EU)向けが貢献した。この勢いに乗ろうと、県などは乳牛を代理母にして子牛を増産する取り組みを始めた。業界は5年後2倍の年1200頭分輸出する計画だ。それと25日の新聞記事で海外に進出中の高級和牛・神戸ビーフ。今、世界で16億人とされるイスラム圏の人々に売り出すための取り組みが進んでいる。兵庫県の助成金で新たな処理施設が整備され、専門店では「ハラール」の認証を受けた肉の販売が始まった。どちらも神戸ビーフの記事ですがこれも提案したことなのでうまくいって喜ばしい限りでした。この年2015年にロシアやアラブ首長国連邦へも輸出が解禁します。さらに2017年春、欧米や香港の衛生基準を満たす施設を姫路市に新設します。今後の輸出増が期待でき楽しみな産業です。

2015年2月17日朝日新聞では「高校内定率88.8% バブル期並みに」との記事を見つけました。前の年の12月の就職内定率なのですが雇用の回復も私の一つの目標でしたので手応えを感じる記事でした。ただ今の時代は高齢化社会なので企業側が早く若者を確保しようとゆう動きの中での数字です。これが非正規の方まで正社員化出来るようにさらに仕事を増やしていく策を考え提案していく次第です。次は2月22日神戸新聞「日本企業 海外M&A過去最多」です。海外事業を拡大する「攻め」の姿勢が強くなっている事を物語っています。これも良い傾向です。次は同じく22日日経新聞「社外取締役2人以上に東証、6月に新ルール 1,2部対象」東京証券取引所は上場企業に対し、独立性が高い社外取締役を2人以上選ぶように促す上場規則案をまとめた。2人以上選任しない場合に企業は理由を説明する義務があるとし、説明しない企業には罰則を適用する。社外の視点を取り入れて企業経営の規律を強め、収益力を高めていく欧米型の企業統治(コーポレートガバナンス)が日本でも本格的に始まる。

とゆうものでした。これも提案していた事なのですが

これで企業統治が良くなればと思います。

次は3月9日産経新聞「製造業の日本回帰、一過性?」とゆうものです。具体例をあげるとパナソニック:エアコンやオーブンレンジなど白物家電の一部生産を中国から国内に移管

ホンダ:欧州向け小型車の生産を英国工場から国内に移管

シャープ:テレビや冷蔵庫の生産を中国などから国内に移管

ダイキン工業:家庭用エアコンの一部生産を中国から国内に移管

キャノン:デジタルカメラなどの生産を中国や東南アジアから国内に移管

TDK:中国で生産する電子部品の3割を段階的に国内に移管

オムロン:家庭用血圧計の一部生産を中国などから国内に移管

為替相場の円安や海外生産のコスト上昇を背景に国内回帰が始まったとゆう記事でした。これは国内の産業空洞化を止めるだけでなく、国内の雇用を回復させてくれるものです。これも私の狙いの一つだったのですが、今後この動きを加速させていかなければなりません。ただ期待も大きく

もしですがこれで1ドル135円になればどれだけの生産業が国内に回帰するかを考えると楽しみです。2015年3月、久しぶりに高島さんにSDカードを送りました。内容は金融緩和に踏み切ってくれた事、様々な提案を実行してくれた事、歌を作ってくれた事、色々な事にお礼を述べ、とりわけ原油価格の事に関しては今までは原油価格が高騰しすぎていたこれで世界的に助かる人がたくさんあらわれる。と喜び、「原油価格が下がった事により世界的にGDPの伸び率は鈍化するがこれが経済に悪いことではない。見て欲しいのは雇用統計だ。こちらの世界のほうが雇用は世界的に絶対増える。日本も物価上昇率は悪くなるが全然問題じゃないのでマスコミの人達もこれで日銀の黒田総裁を叩くような事は書かないでほしい。みんなそうなんだけどGDPの伸び率だけで経済を判断するようなことをしないで欲しい。大事なのは中身だ。」と私は提言しました。そして以前政治家さんに頼んでいたことに触れました。実は老朽化し放置されている家屋が日本にはたくさんあります。とても危ないのですがなぜかとゆうと税の仕組みです。建物があれば固定資産税がかかるのですがそのほうが土地だけのときよりも税金が少なくなります。ですので老朽化した建物を壊そうとする人はあまりいません。ですのでこの税の仕組みを変えてもらうように提言していました。かりに老朽化した建物を壊さなければならなくなればその後の維持費を考えると土地も手放そうと考える人が増えるはずです。そうなれば市場に土地が出回り土地の価格が下がる要因になります。この事は金融緩和が成功した時に備えてあらかじめ提案していました。なぜなら金融緩和が成功すれば外国からの投資が増え土地の価格が上昇することが見込まれていたからです。中には土地転がしをする人達が出てくるかもしれません。そうなるとバブル期の頃のようになり上がりきったときにはじけるでしょう。(最近の人にはなじみが無くて解りずらいかもしれませんがたとえるなら2015年の中国の株価暴落です。あのようなことになります。)そうなることを防ぐために考えました。これなら危険な老朽化した建物を撤去出来るので一石二鳥です。その法律がこの頃できたのですが(すいません資料を無くしてしまい法律名が分かりません。)施工されるのが2019年辺りだったのでそれを早めるように要請しました。(その後2,3か月後にすぐに施工されるようになりました。)

2015年4月下旬私は1バレル60ドルまで戻すべきだと提案しました。理由ですがこの価格はシェールオイルを掘るのに最低必要な価格設定だと言われています。(私の見立てでは1バレル55ドルでも問題ないと思われる。)シェールオイルなどの新しい仕事でアメリカは雇用が生まれ、なおかつアメリカはもともと自国の産出油だけでは足らず輸入を行って居る国なので、シェールオイルが事業として成り立たなくなるとGDPは減り、貿易収支も悪くなる可能性が高く、アメリカの経済が悪くなるとアメリカもドル安にしようとする可能性があり、そうなると日本は円高になるので結果TPPで酷い目に遭う可能性が有り危険だと判断しその様に要請しました。世界経済的にもアメリカの経済が悪くなる事は好ましく無く、1バレル60ドル~55ドルが世界的に良い価格だと判断します。この件はこの件で世界に要請したいのは上記での価格で推移するように調整をして頂けるようよろしくお願いします。くれぐれも行ってはなら無いのが1バレル100ドルなどの超高値で、そうなると世界経済は確実に冷え込むのでそうならないようによろしくお願いします。と提案し、続けて色々と言わせてもらいました。TPPですが現在は昔の様に70円台の円高では無いので事情は大分違います。甘利大臣が粘り強く交渉してくれているおかげも有り大分良い状況は作れていると思います。ここでアメリカ側に言いたいことはTPPの本質は日本の

市場を狙う事では無く、日米連携でその他の国を先進諸国に導く事こそが一番の狙いだと考えて頂きたいと思います。投資や開発、市場の割合が中国に負けないようにし安全保障につなげる事こそが最大の収穫として頂きたい事をオバマ大統領にもお伝え頂けるようよろしくお願いします。後もう一つ案があるのですがまた話は戻りますが原油関係です。OPECなどで話し合いをしていただきたいのですが1バレルを60ドルとし、これを基準にして各国の通貨で石油を取引出来る様にするとゆう案はいかがでしょうか。これも2015年3月に送ったSDカードで提案していますが狙いは原油や石炭やガスを販売している国から円で買うと相手国はその円を使用し日本から物を買う、とゆうものこれが実現すれば輸出に弾みがつくのでは?と考えました。流石にこれは無理でしょうか?出来れば面白いと思うのですが。

今回も無理難題を色々と提案していますが今までの提案がほぼ全て達成されているので「出来るのでは?」と私はついつい考えてしまいます。最後にこれは私の粟井計画ですが国家予算年間収支が黒字化するのは以下の三本柱(三本の矢)を達成すれば消費税は10%で後は高所得者にはさらに高所得税を掛ける事で乗り切れると考えて居ます。

1つは1ドル135円の円安による貿易収支の完全黒字化

2つ目は年間3000万人日本への来客

3つ目が海洋資源の採掘が(メタンハイドレートや鉱物

資源)商業化出来るようになる事。以上の三点です。1番は今年に達成されるでしょうし2番はこのままビザの緩和などで2020年には年間2000万人は確実に突破するでしょう。そして一番の山場は3番目でこれが大成功すればいままで輸入して居た物が国内でで生産されGDPを大きく押し上げる事となるでしょう。これが成功すれば貿易収支がとても良くなるので

ここまでたどり着ければ日本は確実に借金をへらして行く事が出来ます。海洋資源の件などは今回あげて居るアメリカのシェールオイルとガスの原理と同じです。ですので3番は一番重要で(世界経済にも好影響を与えます。)これが成功するかしないかで日本の浮沈が決まります。海洋資源の商業化は随分以前に送ったSDカードでは何とか2020年までに出来るようにして下さい。と提案していましたが(オリンピックに間に合わせたかった。)

現在の進行状況では2020年代に商業化とまでしか新聞に掲載されていませんので手こずって居るようです。

少子化対策も何とかしなければならないのですがそれには低所得者の減税が必要になります。国債金利の切り上げの話も海外でちらほらとあるのですがその件の事も考えると、安倍総理が予定している2017年4月消費税10%引き上げ時に行うのが良いと思います。出生率を改善できれば状況は大きく変わりますのでこの件も検討して頂けるようよろしくお願いします。減税対象は年収450万円以下の人達を対象として頂ければ少子化対策となるのではと考えて居ます。今回以上ですが全体的な事は伝えられたかと思います。また何か気が付いたらお伝えしたいと思います。と、提案や自分の考えなどを伝えました。ここまでで数年前まで日本が抱えていた閉塞感は打破でき、未来に希望の持てる材料が増えました。こうゆう事などに着目すればまだまだ日本はやれると思われ楽しくなります。

4月に入り賃上げが行われ日経新聞を見ると「賃上げ17年ぶり高水準 2年連続ベアで底上げ」とゆう見出しが

(おど)りました。大手企業伸び率は2.59%とゆう高水準でまずまずです。こういった状況が何年も続けば大分景気は好転しそうな気がするのですが、果たして何年も連続でアップすることは出来るでしょうか?企業の本気度が試されています。景気回復は政治だけでは出来ません。最終的には企業がどう動くか?にかかっています。その事も最近では企業側も理解し始めているのであとは実行です。今後に期待です。4月28日日経新聞にはこの様な記事がでました。「官民で背水の油田権益 国際石油帝石アブダビで大型案件」これはアラブ首長国連邦(UAE)のアブダビで国際石油帝石が大型陸上油田の権益を取得した、とゆうものです。政府の支援し、長く欧米石油メジャーが独占してきた優良油田に風穴を開けた、との事です。以前から私は「原油の権益を握るのは力だ。」と言い、政府も後押しして欲しいと提案していました。こういったものが安倍政権以前まで無かったので、着実に増えていっているのは私の提案した事も影響しているのでとても喜んでいます。

5月8日朝日新聞にはついに「USJにマリオ?任天堂、米社とアトラクション」との見出しがでました。内容は任天堂のキャラクターでUSJと組みアトラクションテーマパークを作るとゆうものでした。まだ話は最初の部分だけのようで沖縄に作るなどの情報は有りませんでした。私個人の希望ではPS(プレイステーション)のソフトメーカーも参加して欲しいので今後も提案していきたいと思います。その後自民党案で普天間基地からの辺野古移設が進めば普天間基地の跡地に誘致するのに協力するとのことでしたので沖縄USJはどうやら実現できそうです。さてさて色々と書かせて頂いたのですが他に安全保障条約についてとか脱原発についてなど色々と書きたかったのですが、そこまで書き始めるとなかなか終わらなくなるので今回はこの辺までにしておきます。一つだけ言わせてもらうと私は脱原発派です。いずれこのことも取り上げて書きたいと思っています。それでは皆さん今回はこの辺で失礼致します。

 

あとがき

皆さんここまでお付き合い頂き有難うございます。

つたない文章力しかない私が書いたものでさぞかし読みにくかったり理解しずらかったかと思います。残念ながらこれが今の私の全力なのです。が、書いてるうちに段々改善されていくだろうと思いますのでこれからもお付き合いのほどよろしくお願いします。前半と後半を読んでいただいて感じ取っていただきたい事があるのですが、国会議員の方、TV局の役員の方、企業の役員の方、高島さんなどTV局関係の方みんなに優しさが感じられます。ふつうなら無視されている所ですが、

みんなとても協力的でした。その優しさや温かさが私の

エネルギーの源です。もし私が何も提案してなければ、

ここまで経済は回復して無かったかもしれません。そう考えると新聞5紙を読み始めて良かったなと思います。見聞を広めるのにとても役に立ちまし、良く大人の世界では「新聞には目を通さなあかん」といわれますがその通りでした。後自分に仕事に関わる法律の勉強もしなければならないなとも思いました。法律をしれば世の中の事が本当によく分かります。義務教育のなかで司法とゆう科目があったら良かったのになどとも思いました。

経済の話に触れると、現在は2016年2月ですが

円相場が大変な事になっています。あれよあれよとゆう間に1ドル110円まで円高にブレてしまいました。今後どのように円安に持っていくかを考えなければなりません。これは大変な状況です。ただ1ドル70円台の時と比べると、あの時ほどの絶望感はありません。今後タレント活動を考えているのですがタレントとゆう意味は「才能」らしいのですが私はさしずめ「提案のタレント」もしくは「経済のタレント」として生きていきたいなと考えています。自分の提案した番組に呼んでもらい生業とする。とても面白い人生になりそうです。そして経済を押し上げてゆくような事をしそれをTVで放送する、そのような事が出来たら最高だと考えています。現在では二つほど考えていて一つは農業の輸出拡大です。実は以前送ったSDカードでヒルトンホテルについて色々と語りました。以前働かしてもらっていた事、一番最初に最高級ホテルを作り出した会社で初代の人がホテル王と呼ばれていた事、そんな事を話していた時にぼそっとグループの規模で現在は別のグループに一位に座を奪われていて苦戦してる事を話しました。すると何か月後かにある記事を見かけました。残念ながらその時は話が大きすぎたのでその記事をコピーし無かったのでどんな内容だったかは曖昧(あいまい)なのですが確か株価が回復してもう一度グループの規模が世界一になった、そんな記事だったと思います。現在ならいろんな方が動いてくれてそうなったんじゃないかなと思っています。ですのでその真相を教えてもらいもしそうならヒルトングループのトップにその事を伝え、一緒に喜んでもらい、パイプを作りたいと思います。信頼が獲得で来たら日本の農産物を売り込みヒルトングループに卸させてもらおうと考えています。もちろん目玉は高級和牛です。もしその他の農作物なども取り扱っていただけるようになれば世界に4000以上のホテルを抱えるヒルトンならかなりの消費が見込まれ農業の輸出拡大が見込まれます。また、ヒルトンで使用してもらえればそれだけ実績が付くので他のホテルグループにも売り込みやすくなります。これが一つ目の農業拡大の案です。もう一つは日本への旅行者の増加。実は以前この様な事を提案しました。日本の番組を海外で放送しやすいようにファンドを作って欲しいと。2016年今年に入りそれは達成し総務省主導で放送・通信の海外展開官民ファンドが出来ました。今まで提案してきた番組の中で海外で放送すれば日本に興味を持ってもらえるような番組があるので総務省に色々と提案させて頂こうと思っています。そうすることによって海外からのお客様を増やしたり、親日家の方を増やそうとの作戦です。

とまああの手この手で活躍し、自分の知名度と国益が上がればいいなと考えています。とゆうわけで皆さん今後とも粟井啓介をご贔屓によろしくお願いします。